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はなもあらしも ~垂司編~

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 * * *

 ともえが連れられてきたのは、道場から少し行った場所にある演劇場だった。
 街灯などないこの時代、劇場の周囲は昼のように提灯が飾り付けられていて明るい。

「うわあ、すごい人!」

 娯楽の少ない中、人々は夜の楽しみの一つとして演劇場で寄席を楽しんでいた。今晩の演目は人気の噺家が何人も出るらしく、あちこちで人々が盛り上がっている。
 先ほどまでの物思いに耽った表情はどこへやら―――そこはやはり年頃の女の子である。新鮮な風景に瞳を輝かせるともえを、垂司はさも愛しそうに見下ろしていた。と、その時だ。

「あら、この華やかな街には似つかわしくない田舎者が厚顔無恥にも歩いていらっしゃると思えば、どこぞの田舎道場の弓道家さんじゃあありませんの」

 演劇場の入り口に近づくと、いきなり信じられない程の厭味をぶつけられた。何事が起こっているのか、脳が追い付かないような状況で声のした方を見れば、そこには笠原道場の橘雛菊が立っていた。その隣には同じく笠原道場の氷江雪人が並び、こちらに冷たい視線をあびせていた。

「おや、橘の姫君じゃないか」

 そんな橘に声を荒げるでもなく、垂司はすっと前に出た。
「垂司さん……。あなたがそんな田舎娘のお相手をなさるだなんて、なんの気まぐれですの?」
「気まぐれなんかじゃないよ」
「あら、じゃあお遊びですかしら」

 ほほほと橘は愉快そうに目を細めて笑ったが、ともえは反論する事すら出来ない。悔しくて辛くてたまらないのに、橘の言う事を真っ向から否定する事も出来ない。

「遊びはもうやめようかと思ってね―――なんて言ったら、君は信じるかい?」
「まさか! ほほほ、あの垂司さんがそんな事を思うはずがありませんわ! まして相手がその子では説得力にかけるというもの」

 橘のあざ笑う声がともえの心を浸食する。

「いや、でも良かったよ。姫君にはちゃんとした王子がいるようだから」
「「なっ!」」

 垂司の言葉に橘と氷江の両名が驚きを隠せなかった。

「なっ、なにを仰るんですの!? 私と雪人さんはそんな関係では……!」
「そうです! 大体垂司さん、あなたと言う人は!」

 そんな二人の抗議をものともせずに、垂司はともえの肩を抱くと演芸場の中へと歩みを進めた。

「お待ちなさい!」

 そんな垂司とともえの背中に橘が鋭い声を投げた。
「なにかな?」

 やんわりと振り返った垂司だったが、ともえの肩から手を放そうとはしなかった。

「……あなたはその方の王子だとでも仰るんですの?」
「そうなりたいと思ってるよ」

 さらりと垂司はそう答える。垂司を見つめる橘の瞳に映ったのは、嫉妬か憎悪か、それとも愛情なのか―――垂司の隣で身を固くしているともえには、判別のしようもなかった。

「…………では最後にもう一つだけ。あなたが先ほどからその子の肩に手を置かれるのは、その子が足を負傷していらっしゃるから?」
「おや、良く分かったね。少し前に暴漢に襲われてしまってね。君も気をつけるんだよ」
「暴漢―――? ……そんな事より垂司さん、お答えください。その子が怪我をしているから、そんな風に肩を抱かれるんですか?」

 垂司がなんと答えるのか、ともえは内心動揺していた。心臓は早く脈を打ち続けている。

「これはただの趣味だよ」

 垂司はあっさりそう言うと、今度こそ劇場内へと足を踏み入れた。
 橘と氷江はその答えに呆然と立ち尽くし、二人が去るのを見送るので精一杯だったようだ。