父の肖像
5.4等賞
ぼくのお父さん
3年2組 はら まこと
ぼくのお父さんは、いつもいえにいます。なんでいえにいるかというと、ぼくが小1のころに、リストラというのにあったからです。でもぼくは、お父さんがいつもいえにいるのでうれしいです。それは、べんきょうを見てくれたり、ゲームで遊んでくれたり、いっしょにおふろに入ったりしてくれるからです。
でもぼくはうれしいのですが、お母さんは困っているようです。
「お父さんが家にいるせいで、かけいがくるしいわ」
そう言っていつもため息をついています。
せんじつ、ぼくの学校で運動会がありました。ぼくはしょうがい物きょうそうに決まりました。ぼくはいやだなと思いました。走るのがおそいからです。しかもみんなが見ている前です。それでビリだったら恥ずかしいと思います。
おうちに帰って落ちこんでいると、お父さんが、何があったのか聞いてきます。ぼくはお父さんに、運動会でしょうがい物きょうそうをやること、走るのがおそいからビリになリそうだということを話したのです。
「ビリになりたくないのか、なら練習しよう」
お父さんはそう言って、さらにこう言い足しました。
「実はな、しょうがい物きょうそうは足の速さで決まるもんじゃない。しょうがい物を上手に通り抜ければ、足が速くなくても上位に入ることができるんだ」
そして、お父さんは庭でゴソゴソ何かを始めました。ぼくが見にいくと、庭にいくつかのしょうがい物ができていたのです。
まず、物置にあった魚つり用のあみが置かれていました。これをくぐり抜ける練習をしようというのです。次に、これも物置にあったはしごが横だおしに置かれています。これもくぐる練習をするためのものです。最後は、チョークで線が引かれていました。その線はとてもほそながい四角形で、ちょうど足の幅くらいです。これはきっとへいきん台のつもりなのでしょう。
「毎日少しずつ練習しよう」
お父さんはそう言って、ぼくの練習を見てくれました。あみはからみついてなかなか抜けられないし、はしごもくぐるのはかなり大変です。へいきん台も、ふみはずさないで走るのはとても難しいことがわかりました。
練習はとてもたいへんでしたが、ぼくは毎日がんばりました。そして、運動会の日になったのです。しょうがい物きょうそうは、午後でした。ぼくは午前はゆっくりできると思い、ときょうそうやおうえん合戦を楽しく見ました。
お昼あたりからきんちょうし始めました。転んでビリになってしまったらどうしよう、不安で不安でたまりません。そうしたら、いつの間にか後ろにお父さんがいました。
「いいか。今日のためにあんなに練習してきたのは、まこと、お前だけだ。お前がいちばんしょうがい物をわかっている、そう思っていいぞ」
なるほどと思いました。たしかに、運動会の1種目のためにあれだけ毎日練習をしたのはぼくだけでしょう。仮にそういう子が他にいたとしても、ぼくといっしょに走る子全員があれほどもうれんしゅうをしてきたとは思えないのです。
ぼくはゆうきがわいてきました。むしろはやくしょうがい物きょうそうの時間になれとさえ思いました。
そして、しょうがい物きょうそうの時間がやってきました。ぼくは、さっきのお父さんのことばですっかりやる気になっていましたが、ここに来てしんぱいなことが出てきました。
あみ、はしご、へいきん台、ここまではよそう通りでしたが、さいごに大きなふくろが置かれていたのです。先生の話を聞くと、あそこに両足を入れてぴょんぴょん飛びながらゴールをするということなのです。練習していないものが出てきて、ぼくはまた目の前がくらくなりました。でもしかたがありません。ぼくはがんばるとけっしんして、スタートラインに立ったのです。
ピストルがなり、ぼくらは走り出します。まずはあみです。いえで練習したあみよりも大きいし、みんなでくぐるのがしんぱいでしたが、ぶじ3位でくぐり終えました。次ははしご。そのとき、いちばん先頭を走る子がはしごにつかえてしまいました。2番の子と僕がはしごを抜けて先頭あらそいをしながら走ります。やがてへいきん台が近づいてきます。ここでぼくと先頭をあらそっていた子が足をふみ外し、ぼくが先頭に立ったのです。
ぼくは先頭で、さいごのしょうがい物、ふくろに足を入れました。そしてぴょんぴょんゴールテープへ近づいていきます。あと10m、5m、2m……。ぼくはそこで、倒れてしまいます。あと少しでゴールというところで転んでしまったのです。あわてて立て直そうとしているうちに、後ろからみんながやって来ます。1人抜かれ、2人抜かれ……。気づいたら4等でゴールしていたのです。
ぼくはがっかりしました。1等賞になれたのに転んで4等になってしまったのです。でも、落ちこむぼくにお父さんは言いました。
「ビリにはならなかったじゃないか」
たしかにそうです。でも……。
「それにな、4等賞ってのも悪いもんじゃないぞ。世の中には、4等にもなれない人がたくさんいるんだからな」
お父さんは、どこか遠い目をして言うのです。
「だからな、今回の4等賞はきっと、1等を取れなかったくやしさも、ビリじゃなかったうれしさも、4等以下の人たちの悲しみも、理解できる大人になってほしいってことなんだよ」
ぼくはお父さんの言う通り、いろいろな人の気持ちを分かってあげられる人になりたいなと思いました。
そんなお父さんは運動会のあと、新しい仕事につくことになりました。家にいることがへってしまうのは悲しいけれど、がんばってほしいと思います。
おわり