小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

父の肖像

INDEX|6ページ/6ページ|

前のページ
 

6.その背中



 親父ももう、さすがにこの世にいないだろう。だからいい加減、話してもいいかもしれない。私が30手前のころだから、40年近く前の話だ。


 そのころ、私の母が亡くなった。58歳だった。

 母は幼い頃から腎臓が悪かったらしく、小さい頃からだるさを訴えたり、貧血が多かったと親族から聞いていた。私という子を成してからもその病弱さは相変わらずで、やはり腎臓が元で病の床につき、約一年の闘病生活の後に鬼籍に入ることとなった。

 葬儀からしばらく経ち、諸々のことが終わって一息ついた頃。私はふと、数年前母と離婚した父のことを思い出した。
 二人が離婚したのは、私がとても大事な仕事に取り掛かっていた頃だった。それこそ寝食を忘れ、一人暮らしのアパートに帰る間すら惜しんで仕事をしていたあの時期。そんなときに一言、母からしれっと「離婚しました」という手紙が届いていたのだ。
 その後、仕事が一段落して実家に戻ることがあっても、母と離婚の話をすることはなかった。それどころか、母との会話中に父の話が上った記憶もない。そのまま数年が経ち、母がこんなことになってしまったというわけだ。というわけで、私は両親の離婚理由を知らないし、父の消息もわからない。

 ちょっとばかり、父に会いに行こうか。母さんが亡くなったってことぐらい伝えても、バチは当たらないだろう。私はそう、思い立ったのだった。


 父の消息をつかむのは、そんなに難しいことではなかった。父の兄、すなわち伯父さんに連絡を取ったのだ。
 伯父にも母の死を伝えた後、何気なく父の話を切り出して今の連絡先を教えてもらう。伯父は少々渋っていたが、やがて住まいと勤務地の連絡先、その二つを私に教えてくれる。
 伯父はその後も何か言いたげだったが、私は努めてそれには触れようとせずに通話を終えた。


 数日後。
 仕事を終え、父の住まいと思われる住所の前に立つ。あまり立派とは言えないそのアパートの呼び鈴を押したが、なしのつぶてだった。時間はもう22時過ぎ。こんな夜中まで仕事をしているのか。そう思いつつ、割とすぐ近くのもう一つの住所へと向かう。その住所は、ネオンがキラキラと光り輝く夜の街のど真ん中だった。

「やっと着いた……」
雑居ビルの4階を登りきった先、そこにある店。その店名を確かめようとした瞬間、急に扉が開いた。
「あっ……」
思わずあ然としてしまう。扉を開いたのは、化粧を塗りたくった父だったからだ。
「……大輝か?」
姿を見られて動揺する父からの問いに、こちらも慌ててうなずく。すると、父は少し待ってろというジェスチャーをして、扉の奥にいったん戻った。
「あの、すみませんが、今から1、2時間ほどもらっていいですか」
顔の幅二つ分くらい開いた扉から父の声が聞こえ、その後違う人の顔がのぞく。その人は父に似た私の顔つきで、おおよそ誰かを察したのだろう。
「いいわよ。何なら今日、お休み取っちゃいなさいよ」
と、私にも聞こえる声で父に告げた。


「久しぶりだな、3年ぐらいになるか」
近くの喫茶店。差し向かいの席に座る父の言葉に、私はうなずいた。
 私は、父の顔を改めてまじまじと眺める。化粧をしていることをのぞけば、最後に会ったときからそれほど変わってはいない。太ったわけでもやつれたわけでもなく、快活そうでもある。だが、一番最初に述べた化粧をしていること、それが問題なのだ。

 父が勤めている店。入り口しか確認していないが、あれは恐らくゲイバーというやつだろう。父にそういう隠れた嗜好があったのか。そう思ったまさにその瞬間、父が話を切り出した。
「昔、母さん、いや、久子さんがお前を生む頃にな」
やや伏し目がちにして、コーヒーを一口すする。
「私は身重の久子さんのことや、父になる不安で精神的に少し参ってたんだ」
目線をさらに下に落としてうなだれる。
「そんな辛いとき、たまたま立ち寄ったのがさっきのお店だった。それで、いろいろ元気づけられてな。気づくとあの店の常連になっていたんだ」
私は再びうなずく。
「別にやましいことは何もなかったんだ。だが、ついつい切り出せなくて……。ある日いきなり久子さんに、お店に入る写真と離婚届を突きつけられちゃったんだ」
父は自嘲気味に笑って、またコーヒーをすすった。

 ちなみに、今は、そういった性的嗜好は離婚の直接的な理由にはならないらしい。だが当時は、なかなか厳しいものがあったようだ。

「おかげで会社も辞めることになってさ、あのお店のママに相談したら「なら、ここで働けばいいじゃない」って言ってくれて。それ以来、お言葉に甘えて世話になってるんだ」
私は三度、うなずいた。

「母さ……、久子さんは元気にしてるのか?」

 正直、切り出しづらかった。だが母が先日亡くなったことと、それを伝えに今日来たことを私は告げた。
「そうか、亡くなったのか……。久子さん、体弱かったからな」
「うん」
それきり、言葉は続かなかった。後には、冷めきったコーヒーの入ったカップが二つ、ずっと残されていた。


「じゃ。元気でな、大輝」
父は喫茶店の前で、私にそう言って別れを告げる。積もる話がないわけではないし、何なら久々に酒を酌み交わしてもいいだろうと来るときは思っていた。だが、お互い話さないほうが良いこともあるんだろう、父に会ってそういうふうに思い直していた。

 私も父に別れを告げ、お互い別の道を歩きだす。一瞬だけ振り返って、もう二度と会うことはないであろう父の姿を見直した。

 その背中は、喫茶店で交わした言葉よりもはるかに多くのことを物語っていたかのように思えた。
作品名:父の肖像 作家名:六色塔