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はなもあらしも ~美弦編~

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 * * *

「あら、どこからか肥だめのような嫌な臭いがしてくると思ったら、どこぞの田舎道場の弓道家さんではありませんこと?」

 演劇場の前に到着するや、開口一番、信じられない程の厭味をこれでもかとぶつけてきたのは、一度会ったら忘れない、笠原道場の橘雛菊だ。

「橘君、女性に対して肥だめのようだとは、いささか失礼じゃないか。僕にはどちらかと言えば馬小屋の臭いに感じられるが……」

 次にこちらも負けじと厭味を惜しげも無く披露するのは、同じく笠原道場の氷江雪人だ。
 ともえはこめかみの青筋を精一杯抑えながら、引きつった笑顔を作った。

「こんばんは、橘さん、氷江君……お二人でどちらへ行かれるんですか?」

 このやろう。人が下手に出てやったらいい気になって! 弓道はすごいかも知れないけど、こっちは田舎の野良仕事で鍛えた腕っ節があるんですからねっ! 喧嘩だったら負けないんだからっ!! ――そんな思いを込めながら睨みつけるようにして、微笑んだまま挨拶を済ませると美弦がともえの前に半歩歩み出る。

「氷江さんと橘さん。随分と仲が良ろしんですね。逢瀬ですか?」

 美弦がともえとは違って完璧な笑顔でそう言うと、途端に氷江の顔が真っ赤になり、早口になる。

「お、逢瀬!? なんて破廉恥な事を言うんだ、君はっ! 僕達はただ寄席を楽しみに来ただけで……」
「じゃあ逢瀬じゃないですか。僕とともえも寄席を見に来たんですよ。ねーっ?」
「うえっ? あ、うんっ」

 突然に綺麗な笑顔のままの美弦に話しを振られ、ともえは動揺しながらも取りあえず相槌を打った。

「それでは弓槻さんとその田舎のお嬢さんはお二人で逢瀬という事ですの?」

 橘がこれでもかと目を見開いて驚く。

「そうなんです。それじゃあお二人のお邪魔をするわけにも参りませんので、僕達はあちらへ参ります。行こう、ともえ」
「う、うん」
「ちょっとお待ちになって」

 美弦に導かれるように体を反転させた所で、橘の美しい声が背中にかかる。

「どうかしたんですか? 橘さん」
「いえ、弓槻さんじゃなくてそちらの田舎娘さん……あなた、足を怪我していらっしゃるの?」

 まだ少し庇うような歩き方をし、美弦がずっとさりげなく支えるようにしていた為に、橘はどうやらともえの怪我に気付いたようだった。一瞬ともえは闇討ちに遭った時の事を口走ろうとしたが、咄嗟に堪えた。
 そんなともえに気付いて美弦が眉根を寄せた。

「実は彼女は少し前に暴漢に襲われたんです。若い男二人だったみたいだけど、犯人は解らずじまいでして……。最近は物騒ですから橘さんも十分にお気を付け下さい。あ、氷江さんがいらっしゃるから大丈夫か。じゃあ、僕達これで失礼します。お互い良い逢瀬の時間を過ごしましょう」
「――暴漢?」

 氷江が驚く様子を見て、ともえは恐らくこの二人の知らぬ所で画策されたのだろうと悟った。美弦が二人に向かって頭を下げその場を離れると、少し遅れて

「だから逢瀬などではないっ!」

 という氷江の訴えが人ごみの向こうで聞こえた。それを耳にして、ともえと美弦は顔を見合わせて笑った。