はなもあらしも ~美弦編~
「多少の無理くらいしなきゃ、勝てないよ……私」
「負けたっていい」
何を言った? 自分は今、何かとてつもない事を口走りはしなかったか? 美弦は自分の口から突いて出た言葉に、己の耳を疑った。
「負けたっていい……って」
「いいんだ、負けたって」
もう一度口からその言葉が漏れると、美弦はようやく気付いた。自分の中に生まれたこの妙な苛立ちを内包する感情の正体に。
「負けたっていい。ともえに何かあるよりずっといい」
ともえの足元に視線を落とし、美弦は消え入りそうな声で呟く。
「美弦……?」
心配そうに顔を覗き込んできたともえの視線を、美弦は真正面から受け止めた。
「試合に負けるくらいならいい。でももしこのままともえが無理をして、足が悪化したりしたら、僕は笠原の人間を絶対に許さない」
「笠原……って」
「言わなくったって分かってるんだ。こんな事するのはあいつらしかいない」
「…………」
押し黙るともえを今度は美弦が射るように見つめた。
「ともえ、頼むから焦んないでよ。焦る必要なんてどこにもないだろ? だから……だから……」
懇願だった。これはもう美弦の心からの哀願にも似た思いだ。
「分かった……ごめん」
ともえは折れるしかなかった。美弦が心から自分を心配してくれているのが、十分すぎるほどに伝わったからだ。
ともえのその答えを聞くと、美弦は心底安堵したように小さく息を吐く。
「よしっ! それじゃ、僕が真弓兄さまに聞いたとっておきの訓練法を教えてやる!」
「でも」
「これは弓を使わない訓練だからさ。だから今のともえでも大丈夫だよ」
「弓を使わない?」
「そう、代わりに頭を使うんだ。って、ともえの頭じゃちょっと心配だな」
「なによ! 失礼ね!」
いつもの憎まれ口が美弦に戻ってきた所で、ともえの顔にも笑顔が戻る。
「怒るなよ。いい? それはイメージトレーニングっていうやつなんだ」
「いめーじとれえにんぐ?」
聞いた事もない音の羅列に、ともえは小さく首をかしげた。その様を見て、美弦が悪戯っぽくくすりと笑う。
「頭の中で自分が弓を射る姿を最初から最後まできちんと描く。これを何度も何度も繰り返すと、いい情景が頭と体に刻み込まれて、本番でもいい状態へ持って行く事が出来る――らしい。真弓兄さまの話では」
「へえ! すごいね!」
「だろ? だから今日は足は使わないで、イメージトレーニングに励めよ」
「分かった」
そう言うと、すぐさまともえは両の眼を閉じた。
息を深く吸い、長く吐くと早速イメージトレーニングに入ったらしい。
目を閉じたともえの顔を見て、意外と睫毛が長いんだな――などと知らず観察してしまっている事に気付くと、美弦は僅かに顔を赤らめた。
雑念を振り払うように首を数回横に振ると、美弦は静かに的に向かった。
日輪の誇りより、大切にしたいと思う相手への想いで心に温かさを感じながら。
作品名:はなもあらしも ~美弦編~ 作家名:有馬音文