天界での展開(2)
「少し食べ物から離れて下さい。」
「ん? それって、ヒントその壱か? そうか、そうか、やっとあんたも物事を楽しむって事を学んだようだな。・・どうかこのバカに、ヒントその弐を・・」
「・・・」
「早くヒントその弐を口走れ。」
「・・・もう、本当に勘弁して下さいよ・・、日が暮れてしまいます。」
「おう、望む処だ。日が暮れてから姉ちゃんちに辿り着けば、あの姉ちゃんだって『まあ、この様な時刻になるまで働いていらっしゃるなんて、何とあなた様は仕事熱心な・・ しかし、既に夜も遅うございます故、今宵は、私の家で一泊なさって・・ その間に、この装束の袖を繕っておきますので』とか言って、まさにあんたの思うツボじゃないか。」
「・・」
「あ、また一瞬だが、姉ちゃんと過ごす夜を想像したな。目がうっとりとしていたぞ。」
「な、なっ・・何という事を!・・・あっ、あ~~! 隙を突いて少し其処を開けましたね!」
「うん、開けた。だが、ほんの5ミリほどだぞ。」
「その5ミリが、大変なのです! すぐさま閉じなさい! さもなければ、私も容赦しませんよ!」
「そんなに怒るなよ。緊張して、閉じようとしても指が逆に動くかも知れない。え~と、上げれば閉じるんだったかな・・それとも下げれば・・? 忘れちまったぞ・・」
客人 というか
「・・・」
「あんた、覚えていないのか?」
「え?」
「何が『え?』だ。このファスナー、上か下のどちらに引けば閉まるんだい?」
「知りません。その件に関しては、担当部署が違いますから。」
「何だよ、肝心なところで頼りにならないんだから・・ すぐに誰かに訊きなよ。」
「それは、出来ません。」
「何故だ? スマホを持っていないのか?」
「そういうことではありません。連絡を取ろうと思えば、スマホなど無くてもテレパシーで何処の誰とでも話せます。」
「テレパシーって、何だ?」
「気を集中して、思いを相手に送ることです。」
「つまり、早い話が念力の類ということか?」
「そうです。そうなのですが、例えテレパシーで担当部署の者と交信して、上か下かが分かったとしても、私が直接手を下す訳には行かないのです。」
「そんな事だから、官庁の縦割り行政の弊害をとやかく言われるんだ。仕方ない。この場合、確率は50パーセントだ。イチかバチかやってみるしかない。えぇとぉ・・この世界に来てからの俺は、あんた等の言うことに逆らった場合にだな、あんた等が慌てふためく結果を招いて来たから、今回に限り、あんたの助言を素直に聞くことにする。そこでだ、一言で良いから、上か下のどちらかを決めてくれよ。」
「その様な不確かなことを、助言などとは云えません。大体、元はと云えば、一二三院四五六居士が悪いのです。あなたが、余計なことさえしなければ、私達は、既に清廉女史の家に着いていたかも知れません。そして、そこで温かい紅茶など飲みながら・・・」
「こら! ファスナーに一点集中しろ! 今、姉ちゃんとの甘い想像などするなよ! 誰の所為だとか、過去の事など忘れて明るい未来を見詰めるんだ。」
「・・私の一言で、大変な事態を招くことになっても、私に責任はありませんからね。」
「責任の所在など、事が治まってから考えれば良いだろ。まあ、俺は、只の一般の死人だから。」
「そういう言い方をするから、決断が鈍るのです。あなた、自分の事を只の死人だと言いながら、とんでもないことを連続してやっているのですよ。その自覚がありますか?」
「今、字画の話などしてる場合か! どうせ俺は漢字に至極疎いさ。だがな、好きで漢字を知らない、書けない、読めないんじゃない。小さな頃から両親を亡くして、婆ちゃんと俺だけの家で、そんな状況では、学業など放っておいて働くしかないだろうが! 婆ちゃん一人だけが、無理して働いて死んじまったら、まだ幼くてとっても可愛い俺はどうやって生きれば良いというんだ。」
「・・そういう環境に育ったのですか・・・なんと可哀そうな・・」
「妙な感傷に浸るな! 上か? 下か? 早く決めろ!」
「う~~・・ 上っ!」
「よしっ!」
「・・」
「・・・」
「早く! 上です!」
「・・分ってる。・・分かってるんだけど・・」
「けど、何ですか?」
「ファスナーが絡んで、どうにもこうにも動かない。」
「え~~~っ!」
「もう、こうなりゃ力づくだ。このファスナーめ! 俺を死んだばかりの新参者だとバカにしやがって!」
「・・あ、あ~~・・ ファスナーの縫い目が・・」
「破れて大きな穴が開いちまったぞ・・」
「うわ~~、もうお終いだ・・、出世の道が閉ざされる かも・・」
「この期に及んで、自分のことしか考えられないのか! 取り敢えず、開いた処は、両の手で塞いでいるから、あんたは、これからすぐに姉ちゃんちまで急いで行って、針と糸を準備してだな、また姉ちゃんと二人で帰って来いよ。」
「はい! だが、私が駆けて行くよりも、この際テレパシーで清廉女史を呼んだ方が早い。」
「駄目だ! あんた、絶好の機会を無駄にするな。たしかにテレパシーで呼べば時間のロスは無くなる。だがな、此処はあんたが汗を流しながら、大きな息をしながら姉ちゃんの家に駆け込むことこそ大切なんだ。あんたのその姿を見れば、例え姉ちゃんがあんたを好ましく思っていなくても、一緒に来ざるを得ないじゃないか。恋愛に省エネは禁物だ。」
「・・些か反論したい部分が無きにしも非ずですが、概ね一二三院四五六居士の発言に賛成です。ですから、すぐに清廉女史を迎えに行って参ります。・・あっ、この様な時でさえ、私と彼女のことを思ってくれてありがとう。」
「良いから、早く行けよ。」
「承知!」
「・・急いでいるのは分かるが、あの走り方は何だよ・・あっちへフラフラ、こっちでは躓きそうになる・・若いくせに体力の無い奴だ。・・あれ? さっき開いた穴を向こうから誰か突っついてるぞ・・おい、誰だか知らないが、あまり押すなよ。・・押すなと言ってるんだ。・・いう事を聞かないな~・・押すな・・押すなよ!・・あ~~・・」
「わしに命令口調で喚くな! ん? お前、誰じゃ?」
「あんたこそ、誰だ?」
「わしは、鬼じゃ。見て分からんか。賽の河原で有名な赤鬼119番とは、わしのことじゃ、どうじゃ、驚いたか!」
「って、何を驚くんだ?」
「何を って、地獄の一丁目で鬼を見て驚かないのか?」
「いや、まあ、その驚くとか驚かないとかは別としてだな、・・本当に居たんだなぁ、鬼って。あんた、賽の河原で何をしてるんだい?」
「お前、知らないのか?」
「知らん。」
「わしはな、賽の河原で石積みをしている子供等を追い払ってだな、子供等が積んだ石を蹴り崩して回るお役目を頂いている。」
「その大きな身体で、子ども達を追い回しているのか?」
「そうじゃ。恐れ入ったか。」
「あんたねぇ、ちょいと考えを改めた方が良いぞ。そのままでは、只の性格悪いおっさんじゃないか。」
「わしの仕事にケチを付けるのか!」