はなもあらしも 道真編
道場に入ると、ズラリと並んで座る門下生達が一斉に道真とともえに視線を向けた。
こ、怖い……
限流の前までやってきて座ると、先ほどの雪人ともう一人、キリリとした表情の女性が限流の隣りに座ってこちらを睨みつけていた。
「氷江は先ほど挨拶はすませたようだが――橘。こちらの二人が今度の試合の相手だ。挨拶なさい」
師範がそう言うと、女性は小さく頭を下げた。
「橘雛菊(たちばな ひなぎく)と申します。道真さん、そちらの方は?」
「ああ、こいつは――」
「那須ともえと申します」
道真に向けられた橘の視線を遮るようにして、ともえは身を乗り出して名前を告げた。先ほどから自分など鼻から相手になどしていないという、氷江と橘の態度に内心面白くなかったのだ。
「那須……ともえ? 聞いた事もありませんわ。この辺りの名うての弓道者の名前は一通り耳に入っているのですけれど」
そこまで言うと橘は一旦言葉を切り、次に棘のある薔薇のような美しい顔に尊大なまでの微笑みをたたえると、ひときわ大きな声で言葉を続けた。
「どこの田舎からいらっしゃったの? それとも名も上がらないような、“習い事”レベルの方?」
ほほほ、と橘がさも愉快そうに笑うと、道場内からもクスクスと笑い声が漏れてきた。
「どうせたいした事ないさ、橘君。相手にする事はない」
氷江もそれに乗じて厭味たらしく笑う。
「どこぞの田舎娘を代表にするなんて、日輪道場も落ちたものですわ」
「なっ!?」
二人に汚い言葉で罵られ余りの事に思わず言葉に詰まると、道真がすっと立ち上がった。
「ともえのお父上の事は限流師範に聞けば分かる。そうすればこいつが決して習い事レベルの腕では無い事も分かるだろ。師範、今日はご挨拶までと思っていましたので、失礼します――」
「うむ……」
「行くぞ」
「……はい」
ともえが道場を立ち去ろうとすると、背中からよく通るソプラノが突き刺した。
「せいぜいご精進遊ばせ!」
橘だ――と思った瞬間、我慢に我慢を重ねていたともえは大きく口を開いた――が、
「橘、お前少しは成長しろよ。自分の不幸を他人に当たるなんて、どうかしてる」
橘とは真逆の、静かで落ち着いた道真のその言葉は、まるで一本の矢のごとく彼女に突き刺さった。
くすくすと嫌な笑いが漏れていた道場内がしん、と静まり返った。
「……ふんっ。口が達者なのは日輪のお血筋かしらっ」
そういうと橘はぷいと横を向いた。
道真は目をつぶり、入り口できっちり礼をして立ち去った。ともえもそれに倣って礼をし、道場から出て行った。
作品名:はなもあらしも 道真編 作家名:有馬音文