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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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「さよならを言うために」6~9話(完結)

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7話 迷路の中へ






ユリの様子はだんだん変わっていき、彼女はとうとうある日僕に打ち明けてくれた。その晩は二人で食事をしてから、僕の家にユリを上げた。

ファミレスでのユリは、別段変わった風もなく、ただ楽しそうに始終喋っていた。僕もそうだ。普段は「黙っていて何を考えているかわからない」と言われる僕だけど、それは“考えていることを悟られたくない”と思ってあまり喋らないからで、当然の結果だ。でも、ユリの前では自分そのままで居られた。それは僕にとってとても心強く、魂がのびのびと息をしているのを感じた。ユリと話すのはとても楽しかった。僕たちはファミレスだというのに、スレスレの政治議論までやっていた。

「だからさ、ヒトラーは確かにこの上ない悪人だったけど、ドイツの国力を取り戻したのは彼がやったヴェルサイユ条約での負債返済の撤廃だったのさ。それで、国民はみんな我を忘れた。でもその後の政治はもう酷いなんてものじゃない。極悪非道と言っていいものだよ」

「確かにね。もちろん国民の求めることをすれば為政者が支持されるのは仕方ないと思う。でも、新たに出されたものについて、国民だってもっと吟味する必要があったと思うよ」

「そうだね、それは言える。人心っていうのがいかに“いい塩梅に行けばいい”ってだけの、無責任なものかがわかるよ」

「でも、やっぱり言い出しっぺが一番悪いとは思うけど…」

僕たちはそんな、今更話しても仕方ないような、しかも口にするのも憚られるほど痛ましかった出来事についても語った。僕はこれをさせてもらえるのがとても楽だった。今までこんな話を友達に持ち出したら、「お前はなんて奴だ」と責められたし、僕がそれらを話す動機として、“純粋に過去の歴史の理解を深め合いたくてやっているつもりなのだ”と言っても、誰も信じてくれなかった。僕は、喋りたいことをいくらでも喋らせてくれるユリに感謝していた。でも、そこでユリがふっと真剣な目つきになり、ちょっとため息を吐いた。

「でもさ、こうやって話していても、これはただの羅列に過ぎないと思う」

「羅列?」

僕は初め、ユリの言った事の意味がよく分からなかった。

「だってさ、私たちは過去にあったことを喋っているだけで、何も「その時こうすれば防げたかもしれない、誰それがこう言えば止められたかもしれない、これから先に同じことを起こさないためにはどうすれば…」なんてことは話さないじゃん?」

僕はそこで、はたと気づいた。“確かにその通りだ。だからこれは議論ではない。”そして、“一体ユリはどんな女の子なのだろう?こんな風に気づくとは…。”と、彼女がどこか末恐ろしい存在のようにも感じた。

「そうだね、確かに羅列だ。でもね、議論っていうのはそうそう簡単にできることじゃない。やっぱり、難しいよね」

「うん。私もできない…」

そう言ってうつむいてしまったユリに、僕は「まあそんなに構えないで。僕たちは学者じゃないんだから」と言った。ユリは「そうだったね」と笑った。それから僕達はドリンクバーにも飽きてしまい、すぐ近くの僕の家に向かった。




いつも通り僕の部屋に着くと、その日のユリはちょっと決まり悪そうにしながら、「ちょっと疲れたから休ませて」と言ったきり、ぐったりと布団に体を横たえて、すぐに眠ってしまった。僕は少し面食らったけど、前に彼女が「うつ病になっていた」と言っていたのを覚えていたので、“休ませてあげないとな”と思った。僕も過去、少しは精神科通いをした事がないわけじゃない。そういう事は少しは知っていた。僕は眠り続ける彼女の顔を眺めたり、煙草を吸ったりして過ごした。

ところが、しばらくそうしていると、眠っているユリがだんだんと苦しそうな表情になり、少しずつ夢にうなされているのが分かるようになった。“悪い夢を見ているのかな。起こした方がいいかな。”と、僕は少し心配だった。そう思って手を出そうか迷っていたとき、ユリは寝言を言った。僕はその言葉に背筋が冷えた。ユリは苦しい息を継ぎながらこう言ったのだ。

「…ママ……」

僕はそのとき、ぞっとした。“ユリは母から虐待を受けていた。それなのに、ユリはまだ夢の中でそれを追体験しているか、母に愛されなかったことを悲しみ続けている…。”そのことに胸が引き裂かれそうになり、今すぐ彼女を揺り起こして強く抱きしめ、「忘れてくれ。頼むから忘れてくれ」と伝えたかった。でもそれはユリにとっては酷な要求だろうとも思った。「かけがえのない何かを失った痛みは、ついてまわる」。人はそう口を揃えて言う。“でも、それじゃユリが辛過ぎるし、結局それは叶うことでもない。いつか忘れてくれるまで、僕はユリを支えよう。”僕はそう決意して煙草をもみ消し、布団に近寄り、少しずつ呼吸を取り戻し始めたユリを起こした。

「ユリちゃん、ユリちゃん。もう四時だよ」

彼女が目を開けて、ぼんやりと僕を見つめた。まだ焦点の定まらない目は、ユリが見ていた夢の中から僕を見つめ返しているようだった。僕が微笑んで見せると、ユリはくしゃりと泣いた。そしてまだ力の入らないらしい腕で起き上がり、ユリは僕の胸に縋ることなく、涙を拭った。“本当は僕の胸に飛び込んで欲しい。でも、僕だって、今すぐ君を抱きしめてすべてを受け入れるのを怖がっているんだ。”そう思いながら、出来るだけ優しく彼女の事を見つめ続けた。ユリは涙が収まると、「夢を見た」と言って、その内容を話し始めた。

「夢はね、私とお母さんの夢。私はお母さんに追いかけられて必死に逃げてた。それはすごく怖いことのはずだけど、なんでかわからないけど、私、悲しくて悲しくて…そのうちにお母さんはぷいってどっかに行っちゃって…でも私は、怖くてお母さんが追いかけられなかった…もう会えないの。お母さんのことが怖くて仕方がないから。でも…」

僕はそこで、僕の知っているユリの真実らしきものを話そうかどうか、迷った。でも、彼女がまた泣いてしまうかもしれなくても、「わかってるよ」と言いたかった。

「君は、ほんとはお母さんと暮らしたいんだよね。なんとなくだけど、わかるよ」

そう言うとユリははっと顔を上げて、驚きと喜びの混じった目で僕を見つめた。そしてコクコクと頷くと。「そう、そうだよ」と言った。僕は、だんだんと僕とユリの間の壁が低くなって、今では顔を見合わせる事が出来るほどになったのが分かってきた。

「私は…お母さんが好きだった。自分に課された期待が誰にも果たせないものだってわかってても、お母さんに逆らえないのはただ怖いからで、愛情から“応えてあげたい”と思ってるわけじゃないのもわかってるけど…やっぱり、母親と離れるって、辛いよ…!」

ユリは顔をぐしゃぐしゃにして泣き、一生懸命目をこすった。僕はそのとき、やっと彼女を抱きしめることが出来た。“今なら僕は「守る」ことを許されているだろう”と思った。腕の中にあるユリの小さい肩は、小刻みに震えていた。

「ユリは、優しいね」

「そんなことない…私は、お母さんを捨てたの…」