#1 身勝手なコンピューター
#1 身勝手なコンピューター
「先生。・・・先生?・・・・・・飛鳥山先生!!!」
「ここです。ワシならここですよ」
ガッチャン! キィーーーー!!
奥に二つ並ぶ鉄のドアの右側が開いて、中から顔を出したのは、この大学で教鞭をとる飛鳥山教授である。研究室を覗いた宇野睦美は、奥の鉄のドアの音に驚いて立ち尽くした。
飛鳥山の研究室はまるで倉庫のような部屋だった。そこには新しい概念で組み立てられたコンピューターの試作品が設置されているが、その武骨な外観は天井まで届く高さである。
「先生、今日の授業、ちょっと解りにくかったから、少しお聞きしたいんですが」
研究室の入り口のドアを閉めながら、睦美は話した。彼女がこの部屋に来たのは初めてだったが、好奇心旺盛な性格ゆえ物怖じせず、巨大なコンピューターを見上げながら一歩前に進んだ。
「ああ、理解出来なかった学生は他にもいただろう。でも聞きに来るかどうかの選択肢は全員にあるが、実際に来るかどうかはワシには判らない」
「・・・ええ、私は理解したいと思って聞きに来ました」
睦美は教授の話に論点が見えず、少し目を細めて話した。
「そうだね。宇野君には、ワシのところへ来るかどうかは分っていたのに、ワシには判らなかったんだよ。これは不思議なことだとは思わないかい?」
飛鳥山は障害のある左足を引きずりながら、杖を突いて作業机に近付いた。
「特に、不思議ではないと思いますけど」
「ははは、その考え方じゃ、今日の授業は難しかっただろう」
「はぁ、まるで言葉遊びみたいな、何と言うか、わざと話を難しくしているようにしか受け取れませんでした」
「ワシには当たり前で、宇野君には意外なことなら、コンピューター予測は、どっちに寄せて計算すればいいと思う?」
「結果をはっきりさせたいなら、当たり前と考えている方を選択したら、より正確な予想が立つと思いますけど」
飛鳥山は、机にまっすぐ右手を突いて、不安定な体を支えた。
「そんな忖度さえ出来ないのが、これまでのコンピューターなんだよ」
「先生が研究されてる新しいコンピューターは、そこが違うということですよね」
「その通り、様々な条件を積み重ねて、その結果、どうなるか予想するのは当たり前のように感じるだろ。しかしそれは現代人の考え方が、皆一様にそう癖付けられてしまってるからに他ならないと思わないかい?」
睦美は眉を寄せた。
「う〜ん。私が今日の授業で気になったのは、今のコンピューターがもっと高性能になれば、はじき出す予測はもっと正確になっていくと思うのに、先生はそれは不可能だと仰っていたことなんです」
飛鳥山は黙ったまま(ハイハイ)と言う口の形で頷いて、傍の机の上に置かれていた電子基板を手に取り、睦美に放り投げた。
「これは人類の技術の結晶だよ」
睦美はそれを落とさないように、慌てて両手を伸ばして掴み取り、教授を見た。
「はい、科学技術の進歩の証ですね」
「うん。でもこの進歩には限界があったんだ」
「コンピューターはこれ以上、進化出来ないってことですか?」
飛鳥山はにっこりとほほ笑んで頷いた。
「一つのことをするには一人いれば十分だ。せいぜい十個ぐらいなら一人で出来るとしても、百のことをしようとすると、十人必要になる。それが千個だと? 一万だと?」
「それを肩代わりするのがコンピューター・・・」
「まだ結論を急がないで、宇野君」
「あ。はい」
睦美は口を挟まず、教授の話を聞こうと思った。
「でもそれだけ大勢が活動出来る場所も必要だね。卓球台でサッカーをしたらゲームにならないと思わないか?」
「確かにそうです」
「でも、フィールドを大きくしなくても、そのプレーヤーを小さくすることでも解決出来るじゃないか」
「無茶な話ですけど、理屈では解ります」
「現代のコンピューターは、この無茶な発想を推し進めた結果、出来上がってるんだよ」
「昔の計算機は電気のオンオフの切り替えに真空管を使ったって聞きますけど、それが今は半導体で意図的に電気信号を切り替えることが出来るようになって、トランジスタの小型化が進んだんでしたよね」
「そうなんだが、そこに限界が来てしまったんだ」
「これ以上小型化が出来ないってことですか?」
飛鳥山は頷いた。
「君が今、手に持っている基盤には、最新のICチップ(集積回路)が埋め込まれている。昔は片手で持てないような代物だったのに、今は小指の爪の先に載せられるほどになってしまった」
「この黒い小さいのが、人の脳みその代わりだなんて信じられませんね」
「物は小さいが、その中には無数の回路が引かれて、電気が流れている。つまり電気が流れる線幅は髪の毛の何十万分の一の細さにまでなってしまっているんだ」
「それを作る技術ってすごいですよね。私はそういう研究をしたくて、電子工学科に入ったんです」
「なら、宇野君の将来はおしまいだね」
「え?」
睦美はこれを聞いて不安にならざるを得なかった。
「サッカー選手をより小さく、更に小さくしていくと限界があることに気付かないかい?」
「無限に小さくは出来ないってことですか?」
「そう。物質の最小単位は原子だったね。今の集積回路の線幅はもう原子の大きさくらいまで細くなってしまっていて、これ以上細くは出来ないんだよ」
「そ、そうなんですか」
「つまり、現代のコンピューターをもっと高性能にしようとしたら、逆にどんどん大きくなってしまってコストがかかり、将来的には電力を食うお荷物ってわけだ。それじゃ一般人は使わないだろうから、研究する価値がない」
睦美は不安な表情のまま質問した。
「じゃ。これからはどんなコンピューターが必要になるとお考えですか?」
「既存の技術の進歩は望めないなら、演算手法を進化させるしかない」
「では、先生の研究って言うのは、今までとどこが違うんですか?」
「発想の転換だよ。平凡に計算するんじゃなくって、計算しないで結果を見付けるんだ」
「どうすればそんなことが」
「世の中ってこうだと思ってる当たり前のことが間違っていても、それに気付かなければ何の問題もないじゃないか」
「はい、でもコンピューターは一つでも計算が合わないと、エラーが出て先に進めない。だからこそ正確で、信頼がおけるんじゃないでしょうか」
「なら君は、その答えが正しいと思って、信用してるのかね?」
「そうじゃダメなんですか?」
「答えを出せるなら、その過程の計算は間違っていないと考えているだろ」
「はい。途中の計算によって結果が導き出されますから」
「では、すべて結果を決めてから逆算出来たら、未来を選べると思わないかい?」
「どういう意味かよく・・・」
「現実の世の中は結果があれば、たとえ計算なんか間違っていても、問題ないんだよ」
「すぐには納得出来そうにないです」
「量子物理学て言うのは、人類の固定概念をぶっ壊さないと理解出来ない学問なんだ」
「それは知っています。私はそれを三年生になったら専攻して学ぶつもりです」
「そうか。じゃ今日は基本中の基本を教えてあげよう」
睦美は教授の居る机に近寄って、手に持っていた電子基板を、そっとその上に返した。
作品名:#1 身勝手なコンピューター 作家名:亨利(ヘンリー)



