天界での展開
「おお、そうじゃった。何しろ未曽有の出来事が一時に起こるから・・ 取り敢えず、もう一度着物を着せて清廉の処まで行き、衝立の裏で着物を脱いで清廉に渡して繕って貰うことにしなさい。」
「では、早速その様に致します。一二三院四五六居士、もう一度着物を着て、私に付いて来なさい。」
「はいよ。」
すたこら外出
「清廉女史は、居ますか?」
「これはこれは、純真第一秘書様、あいにく清廉さまは、何故だか急に気分が悪くなったと仰りまして、先程早退なされました。」
「あの清廉女史が、早退ですと? この数十年、無遅刻無欠勤で仕事上のミスも無く、何時もにこやかな仕事ぶりを閻魔様も大層評価なさっていらっしゃる方が、よりによって今日早退されたとは、一体どの様な次第なのでしょう。」
「はい、それがですね、何ですか聞く処に依りますと、先程一人の死人が参りまして、これがまた何と申しますか神を喰った様な無遠慮極まりない男だそうでして、その男の応対をしたのが清廉さまだったそうです。その男、申請書の文字は、本物のミミズが這って文字の真似を形作った方が余程読み易いという程、恐ろしく下手な文字の羅列で、しかも殆どひらかなで書いてあり、漢字といえば、漢数字を一から順番に六まで並べただけの戒名のみ。それでも、まあ人間界には様々な人が居るだろうからと、清廉さまは、最初は、にこやかに閻魔殿でのしきたりなど説明を始められたそうです。ところがですね、どういう経緯でそうなったのかは存じませんが、その死人は、あの清廉さまを姉ちゃん呼ばわりしたそうでして・・」
「分かりました。もうクドクドと説明は無用です。大体の経緯は想像に易い。」
「おい、俺を睨むなよ。俺だって綺麗な字を書きたいよ。書きたいのだけど、綺麗に書こうと思えば思う程に、頭と手がチグハグな動きになってしまって、途中からは、文字を書いた当の本人の俺さえ読めない字になるんだ。」
「自分で書いた文字が読めないなどと・・、最早それは、文字ではありません。」
「何だよ・・あんた、俺を軽蔑しきってるな。器の小さな奴だなぁ、『気にするほどの事はない。綺麗に書く方が良いに決まってはいるが、いくら頑張っても出来ないものは仕方ない。此処は出来不出来をいうよりも、書こうという意志を持って一生懸命に書いた事自体に意義があるのだから気にする事はない。』とか言って、俺を慰めろよ。そうすりゃ俺だって、下手な文字ですみませんと、少しは謝る気になるかも知れない。」
「あれ? そういうあなた・・、あなたでしょ? 先程清廉さまと大声で言い合った挙句、清廉さまを姉ちゃん呼ばわりしたのは・・」
「そうだけど、何か? さっきから黙って聞いてりゃ、人を余程知能と無縁の様な言い方をしやがって・・、この天界の入口って処は、一体どうなってるんだ。こっちには、こっちの事情ってものがあるんだ。その事情も気持ちも憚らず、思った事を直球で投げ付ける嫌な性格の奴ばかりじゃないか。」
「しかしですね、あなた、あなたも此処では死んだばかりで右も左も分からない訳で、そのあなたに色々とこれからの予定を説明しながら諸注意など合わせてですね、清廉さまが教え始めていらっした訳ですから、さすがに姉ちゃん呼ばわりは如何なものかと、私も思いますよ。もし、清廉さま以外の方が担当の日でしたなら、あなたは、恐らく簡単な算数とせめてひらかなが誰にでも読み取れる程度になるまで天界寺子屋に留め置かれたことでしょうね。」
「何だい、それは?」
「この世で、加減計算とひらかなの読み書きを教える公立の・・所謂学校です。」
「そんなのが在るのか?」
「在りますよ。そこで学習した後で、申請書を提出する仕組みになっているのです。しかし、清廉さまは、お優しいかたですから、あなたの人相風体を見て、何とか申請書に書かれたミミズの這った跡を文字と認めて、なるべく早く閻魔様の裁定を受けさせてあげようとなさったのだと思いますよ。」
「そうだったのか・・」
「はい、そうだった と、思いますよ。それなのに、あなたは、親の心子知らずと言いますか、あー言えばこー言うで、ついにあの方を体調不良に陥らせたのですよ。」
「そうだったのか・・」
「はい、少しは反省して頂きたいものです。」
「ん? 何を反省するんだい?」
「お優しい清廉さまを、体調不良で早退に追い込んだことをです。」
「ああ、そのことか。分かった。反省した。」
「そんなに簡単に反省の言葉など言うと、本当に反省はしていないと思われますよ。もっと、その時の自分の態度など思い出して、悪かった言動を振り返った後で反省の弁を述べて下さい。」
「難しいことを言うなよ。俺が反省したと言ってるんだから良いだろう。」
「もう少し心を込めて、如何にも私に手落ちがありましたと、聞いている周りの方々全員に分かる様に言わなければ信用されません。」
「分かった。しっかりと振り返った結果、反省しました。・・これで良いか?」
「あなたねぇ・・」
「もう良いでしょう、いつまで話しても埒が明かないから。一般の死人に言い含めるのとは少々異なりますよ、この一二三院四五六居士に全て理解させるには。それくらい少し話せば分かりそうなものでしょう。それよりも、急いで清廉女史に会う必要があるのです。何しろ秘書室長様直々の用件を承ってのことですから。・・彼女は、帰宅したのですか? それとも・・」
「おそらく、此処から天界病院へ向かわれて、その後は、御帰宅あそばすと思います。」
「そうですか。それが分かれば結構。すまないが、この一二三院四五六居士に外出許可証を与えて下さい。」
「えっ、つい先程来たばかりの死人に、もう外出許可をするのですか?」
「そうです。秘書室長様のご指示です。この事に関しては、閻魔様も多少関わっていると言っても過言ではありません。」
「え~~~っ! え、閻魔様が・・・は、はい! すぐに許可証を・・」
「・・」
「・・・」
「・・外出許可証でございます!」
「ありがとう。では、一二三院四五六居士、私と同行する様に・・」
「何処へ同行するんだい?」
「あなた、我々の話を聞いていなかったのですか? すべて聞かずとも、話の流れで清廉女史の家まで行くのかな 程度は分かるでしょう。」
「ああ、そういう流れか。俺は、さっきからあの向こうの広間で嬉しそうな表情で話している奴等のことが気になってたからな・・ あいつ等、どうしてあんなに嬉しそうなんだ? 死んで嬉しい奴も居るんだなぁ・・」
「あの者達は、間もなく他界する予定です。ですから、みんな嬉しそうなのです。」
「タカイって、高い高い じゃなくて・・死ぬことだよな・・?」
「あ、そうか、一二三院四五六居士、此処は天界だというのを忘れてはなりません。此処で他界するということは、人間界に再び何処かの誰かの子として生まれる ということです。」
「なんだかややこしい話だなぁ。つまり、あの爺さんも、その横に居る腰の曲がった婆さんも、人間界で赤ん坊として生まれて、もう一度人生を過ごすというんだな?」
「はい、その通りです。」