天界での展開
もう一度
「さあ、いよいよ閻魔様に会えますね。この扉の向こうに小さな控室があって、その先の部屋が、閻魔様の執務室ですよ。」
「・・・」
「私に続いて、どうぞ中にお入り下さい。」
「・・・」
「あれ? どうしたのですか? どうぞ中へ・・」
「・・・」
「どうぞ中へ・・」
「いや、やっぱり帰る。」
「えっ、帰るですって?」
「うん、そうだ。この部屋の隣の部屋へ入れば閻魔さんが居るんだな?」
「はい。」
「閻魔さんが居るってことは、その部屋に入れば、俺は閻魔さんに会うよな?」
「はい、当然そうなります。」
「当然そうなれば、審査が始まるよな?」
「はい、そうですね。」
「で、審査結果が言い渡される・・」
「はい。」
「じゃあ、訊くけどな、さっき俺が言った『俺は何処へも行かず、思い通りにさせて貰う』という俺の意思はどうなるんだい? お前さん、俺に、取り敢えず閻魔さんに会ってから決めれば・・とか何とか言っていたが、俺が素直に部屋へ入って、いきなり審査が始まってだな、物事の理解の遅い俺が、殆ど何も分からないうちに地獄だ極楽だと決められたらどうする? そうなった時には、例え俺が異議を申し立てても、また規則だとか、どーだこーだとお前さん等の遣り方を押し通すんだろ? 俺は、さっき極楽へ行けなくても我慢するから、その代わりに地獄へも行かないと言った筈だぞ。そうしたらだな、繰り返すけれど、お前さんが、兎に角、閻魔さんに会ってから決めろと言ったんだ。だから、俺は此処まで来た。俺が閻魔さんに会う前に、そこのところを、ちゃんと前もってお前さんが閻魔さんに話して了解を貰ってからじゃなければ、俺は、部屋には入らない。」
「え~~?」
「え~~じゃないだろ。閻魔さんと話をつけて来いよ。俺は、此処で待ってるから。」
「でも、まあ、折角此処まで来ているのですから、この際、閻魔様に会って直訴するという方向で考えてみませんか? 私も口添えしますから・・」
「口添えだけで上手く行った験しなど、人間界では殆ど無かったぞ。それにお前さん、嘘を吐いた奴の舌を引っこ抜く張本人に仕える身の者が、新人の死人を騙す様なことをしても良いのか?」
「騙すだなんて・・、私は、只々あの場を静める為の方便としてですね・・」
「何が方便だ! 俺は、部屋に入らないぞ。入らないと言ったら、金輪際入らない。」
「そんな駄々をこねないで、入りましょう・・」
「あっ、お前、力づくで俺を部屋に入れようとするのか! あまり引っ張るなよ。白装束の袖が裂けるじゃないか!」
「あなたこそ、往生際が悪い。そんなに扉の取っ手を握り締めないで! 取っ手が壊れますから!」
「うるさい! こっちだって命が掛かってるんだ。取っ手と命と、どちらが大切なんだ!」
「それが、死人の言葉ですか。あなた、もう死んでいるのですよ。」
「死人が、話したり動いたりする筈がない。俺は、きっと未だ死んでいないんだ。その俺を、お前は殺す気か!」
「・・・・」
「・・・」
「あ~~~・・」
「あ~~~~・・・」
「あなた、ついに取っ手を壊しましたね・・、天界始まって以来の不祥事ですよ・・」
「お前こそ、俺の白装束の袖を引き千切ったじゃないか。風邪をひいたらどうするんだ!」
「大丈夫です、バカは風邪をひきませんから。」
「え? そうなのか? その諺は、此処でも通用するのか? 俺はてっきり世迷言だと思ってたが・・本当の事だったとは・・・」
「そんな事は、後から感心して下さい。それよりも、あなたがしっかりと掴んだままの扉の取っ手を返しなさい。」
「お前こそ、俺の袖を返せよ。」
「あなたが、先に渡しなさい。」
「いいや、お前こそ先に返せ。俺が先に取っ手を渡したら、お前は、閻魔と会わないのなら袖を返さないなどと言いかねない。」
「・・では、同時に・・」
「おう、良いだろう・・」
「・・」
「・・・」
「これこれ、騒がしい。一体、何の騒ぎです?」
「あっ、これは、秘書室長さま・・ 執務室前で、まことに申し訳ありません。実は、この度こちらに参りました一二三院四五六居士が、この扉の取っ手を壊しまして・・」
「何っ? ・・・うぁ~~・・この取っ手、十四万二千恒河沙由旬も前に造られて、以来一度たりとも壊れたことなどなかった天界の重要有形文化財の指定を受けている物ですぞ。・・それを壊したのか、この新米の死人が・・ こりゃ! 一体、何という大それたことを仕出かしたんじゃ!」
「ふん! そんなに大切な物なら、こんな処に置かずに、金庫の中にでも納めときゃよかったんだ。それよりも、俺の装束の袖を返せよ。」
「ん? 袖・・?」
「おう、袖だ。さっきこの男が、俺の腕から引き千切った。」
「そういえば純真、お前、その手に掴んでいる白い布・・それが、新米の死人の袖か?」
「は、はい・・、この者が、部屋に入らないと言い張るものですから、つい袖を引っ張りまして・・」
「袖が千切れたというのか。」
「はい・・」
「如何に何でも、それは、行き過ぎじゃな。あくまでお願いして、それでも理解を得られなかったら、警備の者を呼ぶべきじゃった。」
「はい、今思えば、私も少々短慮に過ぎました。」
「まあ、その袖は返してやりなさい。しかし、困ったのう、片袖取れた装束のままでは、閻魔様の前には出られない。先程から『俗名、権田権蔵は、まだ来ぬか』と、閻魔様が何度も聞かれておるし・・」
「では、清簾に繕わせましょう。彼女は、天界でも指折りの裁縫の腕を持っておりますから。」
「そうか。では、そうするが良い。」
「はい! 一二三院四五六居士、そういう次第であるから、その着物を脱いで下さい。」
「分かった・・・」
「えっ?・・・えっ? ・・一二三院四五六居士は、その装束の下に何も身に付けていないのですか?」
「知るもんか。俺は、生きていた時と、この天界の入り口とやらに来てからの事は覚えているが、死んでいる間の事はまったく記憶に御座いません。どうせ、女房と子供等が、葬儀代を値切った所為で、葬儀屋が、下着などを着せなかったんだろう。でも、いいじゃないか、心配するなよ、さっき分かったばかりだが、俺はバカだから風邪などひかない。」
「バカが風邪を引かないというのは本当の事だが、人間でいる間に一度も風邪を引かなかったという者の報告は、未だ嘗てない。一二三院四五六居士、本当に風邪を引いた覚えがないのか? 高熱を出したこともないのか?」
「・・・そういえば・・たしか・・小さい頃、四十度余りの熱が出て・・とか、母親が話していた。」
「それは、俗にいう知恵熱じゃ。風邪ではない。他に記憶はないのか?」
「ない!」
「おっ、やけにはっきりと即答したな。」
「当り前だ。俺は、健康だけが取り得の人間だった。」
「そうか・・・ 純真よ、一応、天界人体研究所に連絡を入れておきなさい『人類初めてのバカが死んで、天界に来た』とな。後で、私も所長に連絡を入れるから。」
「はい、お申しつけは分かりましたが、まずは、この者の裸姿を何とかしませんと・・」