ふたりでひとり
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。
風俗での思い
「人間というのは、ショックなことがあると、一体どうなってしまうのであろうか?」
そんなことを考えることを、
「そんなネガティブな発想、やめた方がいい」
という人が多いかも知れない。
だが、ショックなことがまわりで何も起こらずに平穏に暮らしていける人などというのは、本当に存在するのかと思うほど、世の中は想像以上にめまぐるしく動いているというものだ。
ショックというのは、自分にとってショックなことであって、まわり全体がいくらショックだと思っていても自分がショックだとは思えなければ、ショックなこととは言わず、逆に他の人が誰もショックだとは言わなくとも自分がショックであれば、それはショックなことだといえるだろう。
「そんなの当たり前のことだ」
といわれるかも知れないが、まわり全体がショックな中で、自分もその一人だという発想と、まわりに誰もショックを受ける人がいなくても、自分だけがショックだという意識を持つこととでは、根本的に違うのではないだろうか。
それは自分本人がどのように感じるかということであり、特にまわりにショックな人がおらず自分だけがショックを感じることは、一人だけ取り残された気がすることから、ショックの度合いは計り知れないものだ。だが、逆に考えれば、
「自分以外はショックを受けていないのだから、まわりの人に助言を受けることはできる」
というかも知れない。
しかし、それは不幸を感じているかどうかで思うことで、ショックを受ける受けないに関してはこの限りではないだろう。
ショックを受けることがあっても、それが不幸だという感覚に直結するものではないからだ。
だが、ショックなことというのは、瞬発性のあるもので、人間に何かの影響を与えるには一番最適なものではないだろうか。怖いものを見たり、悪夢を見たりすると、ショックで身体が硬直してしまったり、汗が身体全体に滲んできたりして、体調にも異常をきたすこともあるだろう。
それは、真っ暗な中で誰かに声を掛けられたり、身体を推されたりするような瞬間的なショックもあれば、精神的に傷つけられるようなことを言われたりと、いわゆる「言葉の暴力」も存在する。
ここに一人の小説家がいる。名前を山下隆正という。彼はどこかからフラッと現れた人で、本来なら出版社も、そんな素性も知らない人に原稿を依頼などしないのだろうが、現在最高と呼ばれる大御所作家である川上紹運という人の紹介だということで、出版社の人も信頼していた。
実際に隆正の小説を見ると、最初はそれほどでもなかったが、どこか惹かれるところがある。それは川上紹運の紹介という折り紙がついているからかも知れないが、それだけではない何かが彼の小説にはあった。
ただ、その中で一人彼の小説に対して、
「何か懐かしいものを感じる」
と思っている人がいた。
隆正の小説は、他の人に類を見ないような独特のもので、懐かしい思いなどありえないと思っていたが、次第に彼の小説を読んでいくうちに、どんどん何かを忘れていくような魔法があるような気がしてきたのは、気のせいであろうか。
彼の名前は中西恵三といい、M出版社の編集部員である。年齢は三十歳になった頃で、最近までは、出版社主催の新人賞関係の部署にいて、選考も兼ねていた。編集長というまでたくさんの作品を読んでいるわけではないが、新人賞関係の仕事をしているおかげで、プロとアマチュアの作品を交互にたくさん読む機会に恵まれ、他の編集者とは違う目線で見ることのできる数少ない編集者として貴重な存在であった。
そんな恵三だったので、
「懐かしさを感じる」
というのは、まんざらウソではないような気もしてくる。
ただ、少しずつ何かを忘れていくというのは、今までにもなかったわけではないが、小説を読んでいて感じたことはない。
――逆にそれが懐かしさを誘ったのではないか?
とも感じたが、すぐに打ち消した。
その考えには信憑性を感じながらもどうして打ち消す必要があったのか、中西は不思議に思うのだった。
隆正を推した川上紹運という小説家は、神出鬼没なことでも有名だった。一応家はあるのだが、自分の家で執筆をすることはほとんどなく、
「さすらいの小説家」
として、出版社はおろか、一般の小説家ファンも周知のことだった。
最初は出版社に対して、
「私は、いろいろなところを放浪しながら小説を書いている」
ということを公言し、原稿はその滞在場所からメールで送ってくるようになった。
別に締め切りに遅れることはなかったので、それでいいと出版社の方でお許しが出て、彼だけ特例となったのだ。
実際に締め切りに遅れたことは一度もなく、デビューしてから三年になるが、一度も家から原稿が送られたことはないようだった。
ただ、彼は秘密主義というわけでもない。テレビや週刊誌の取材には、キチンと予定を立ててくれたら自分から出向いて取材には応じている。遅刻したこともなく、そのあたりは几帳面な性格のようだ。
一度、彼が取材後、どのような行動を取るか、ある記者が彼の後をつけたことがあったが、すぐに彼にバレてしまって、
「今後、このようなことがあれば、一切の取材には応じないので、そのつもりでいていてください」
と注意した。
相手の取材も強引であり、せっかく優等生である作家のご機嫌を損ねては、特ダネを取れたとしても、その損失は大きいという判断で、川上紹運の「おっかけ」は行わないことにした。
このことがあってから、出版関係の暗幕の了解として、
「川上紹運の行動を追ってはいけない」
ということが定着したのだった。
今の時代での最高の小説家とも称される川上紹運は、そういう意味でも伝説的な小説家として君臨するようになっていたのである。
川上紹運という小説家は、年齢は公表されていないが、見るからに老人であり、書く小説はSFであったり恐怖ものが多い。そのため、
「すでに七十歳を超えているのではないか?」
と言われているが、実際には、まだ五十歳にもなっていないというが本当であろうか。
髪の毛はすべてが白髪で、腰あたりまである。白装束で杖でも持っているとすれば、まるで仙人のように見えることも、彼が今の時代で最高の小説家と言われるゆえんの一つではないだろうか。
小説家と言われる人種が、
「変わり者が多い」
と言われていたのも、以前の小説家には、川上紹運のような小説家が多かったというのが由来しているからではないだろうか。
特に、
「明治の文豪」
風俗での思い
「人間というのは、ショックなことがあると、一体どうなってしまうのであろうか?」
そんなことを考えることを、
「そんなネガティブな発想、やめた方がいい」
という人が多いかも知れない。
だが、ショックなことがまわりで何も起こらずに平穏に暮らしていける人などというのは、本当に存在するのかと思うほど、世の中は想像以上にめまぐるしく動いているというものだ。
ショックというのは、自分にとってショックなことであって、まわり全体がいくらショックだと思っていても自分がショックだとは思えなければ、ショックなこととは言わず、逆に他の人が誰もショックだとは言わなくとも自分がショックであれば、それはショックなことだといえるだろう。
「そんなの当たり前のことだ」
といわれるかも知れないが、まわり全体がショックな中で、自分もその一人だという発想と、まわりに誰もショックを受ける人がいなくても、自分だけがショックだという意識を持つこととでは、根本的に違うのではないだろうか。
それは自分本人がどのように感じるかということであり、特にまわりにショックな人がおらず自分だけがショックを感じることは、一人だけ取り残された気がすることから、ショックの度合いは計り知れないものだ。だが、逆に考えれば、
「自分以外はショックを受けていないのだから、まわりの人に助言を受けることはできる」
というかも知れない。
しかし、それは不幸を感じているかどうかで思うことで、ショックを受ける受けないに関してはこの限りではないだろう。
ショックを受けることがあっても、それが不幸だという感覚に直結するものではないからだ。
だが、ショックなことというのは、瞬発性のあるもので、人間に何かの影響を与えるには一番最適なものではないだろうか。怖いものを見たり、悪夢を見たりすると、ショックで身体が硬直してしまったり、汗が身体全体に滲んできたりして、体調にも異常をきたすこともあるだろう。
それは、真っ暗な中で誰かに声を掛けられたり、身体を推されたりするような瞬間的なショックもあれば、精神的に傷つけられるようなことを言われたりと、いわゆる「言葉の暴力」も存在する。
ここに一人の小説家がいる。名前を山下隆正という。彼はどこかからフラッと現れた人で、本来なら出版社も、そんな素性も知らない人に原稿を依頼などしないのだろうが、現在最高と呼ばれる大御所作家である川上紹運という人の紹介だということで、出版社の人も信頼していた。
実際に隆正の小説を見ると、最初はそれほどでもなかったが、どこか惹かれるところがある。それは川上紹運の紹介という折り紙がついているからかも知れないが、それだけではない何かが彼の小説にはあった。
ただ、その中で一人彼の小説に対して、
「何か懐かしいものを感じる」
と思っている人がいた。
隆正の小説は、他の人に類を見ないような独特のもので、懐かしい思いなどありえないと思っていたが、次第に彼の小説を読んでいくうちに、どんどん何かを忘れていくような魔法があるような気がしてきたのは、気のせいであろうか。
彼の名前は中西恵三といい、M出版社の編集部員である。年齢は三十歳になった頃で、最近までは、出版社主催の新人賞関係の部署にいて、選考も兼ねていた。編集長というまでたくさんの作品を読んでいるわけではないが、新人賞関係の仕事をしているおかげで、プロとアマチュアの作品を交互にたくさん読む機会に恵まれ、他の編集者とは違う目線で見ることのできる数少ない編集者として貴重な存在であった。
そんな恵三だったので、
「懐かしさを感じる」
というのは、まんざらウソではないような気もしてくる。
ただ、少しずつ何かを忘れていくというのは、今までにもなかったわけではないが、小説を読んでいて感じたことはない。
――逆にそれが懐かしさを誘ったのではないか?
とも感じたが、すぐに打ち消した。
その考えには信憑性を感じながらもどうして打ち消す必要があったのか、中西は不思議に思うのだった。
隆正を推した川上紹運という小説家は、神出鬼没なことでも有名だった。一応家はあるのだが、自分の家で執筆をすることはほとんどなく、
「さすらいの小説家」
として、出版社はおろか、一般の小説家ファンも周知のことだった。
最初は出版社に対して、
「私は、いろいろなところを放浪しながら小説を書いている」
ということを公言し、原稿はその滞在場所からメールで送ってくるようになった。
別に締め切りに遅れることはなかったので、それでいいと出版社の方でお許しが出て、彼だけ特例となったのだ。
実際に締め切りに遅れたことは一度もなく、デビューしてから三年になるが、一度も家から原稿が送られたことはないようだった。
ただ、彼は秘密主義というわけでもない。テレビや週刊誌の取材には、キチンと予定を立ててくれたら自分から出向いて取材には応じている。遅刻したこともなく、そのあたりは几帳面な性格のようだ。
一度、彼が取材後、どのような行動を取るか、ある記者が彼の後をつけたことがあったが、すぐに彼にバレてしまって、
「今後、このようなことがあれば、一切の取材には応じないので、そのつもりでいていてください」
と注意した。
相手の取材も強引であり、せっかく優等生である作家のご機嫌を損ねては、特ダネを取れたとしても、その損失は大きいという判断で、川上紹運の「おっかけ」は行わないことにした。
このことがあってから、出版関係の暗幕の了解として、
「川上紹運の行動を追ってはいけない」
ということが定着したのだった。
今の時代での最高の小説家とも称される川上紹運は、そういう意味でも伝説的な小説家として君臨するようになっていたのである。
川上紹運という小説家は、年齢は公表されていないが、見るからに老人であり、書く小説はSFであったり恐怖ものが多い。そのため、
「すでに七十歳を超えているのではないか?」
と言われているが、実際には、まだ五十歳にもなっていないというが本当であろうか。
髪の毛はすべてが白髪で、腰あたりまである。白装束で杖でも持っているとすれば、まるで仙人のように見えることも、彼が今の時代で最高の小説家と言われるゆえんの一つではないだろうか。
小説家と言われる人種が、
「変わり者が多い」
と言われていたのも、以前の小説家には、川上紹運のような小説家が多かったというのが由来しているからではないだろうか。
特に、
「明治の文豪」