小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

Soft targets

INDEX|3ページ/4ページ|

次のページ前のページ
 

 カトーはやはり、特別な人間だった。料理をしている姿を見ていた、六年生のわたし。中学校に上がっても、その習慣は変わらなかった。学校から出される課題も本格化してきて、勉強にかかる時間はどんどん長くなっていった。カトーは、書斎の本を『好きに読んでくれていいよ』と言っていたっけ。なぜか、直接話すのは、いけないことだという気がした。だからわたしは、しおり代わりにメモを挟むようになった。カトーがよく読んでいる本や、棚に追加された新書に、『タバコ吸った?』とか、『なんで髪型変えたの?』とか、色々なことを書いたしおりを挟んでおくと、答えがしおりの空いたスペースに書かれて、返ってくる。どうしてそんなことを続けたのか、当時は無意識にやっていたけど、今はなんとなく分かる。鷲井家は加藤家になったけど、その時わたしの中で、雪乃は母としての役目を終えて、年上の家政婦になったのだと思う。物の見え方が変わって、目の前の視界が開けた気がしたけど、カトーはわたしが隣に体を寄せて座るのを、決して許さなかった。七年前の夏休み、芸能界に誘われた日。家に帰ったわたしは、カトーが仕事の電話を終えるのを、すぐ後ろで待っていた。
『わたし、スカウトされた』
『芸能界?』
 電話を切ったカトーは振り返って、笑顔になった。
『やっていけるかな?』
 確か、そんなことを聞いたと思う。カトーの答えは、笑顔のままのうなずき。雪乃の縮小コピーから進化して、追い越せた気がした。芸能スカウトからのお誘いは、そのお墨付きだと思っていた。
『入りたいの? 名刺はもらった?』
 質問が返ってくるなんて思っていなかったから、うろたえたのを覚えている。わたしは首を横に振って立ち去ったけど、言わずにいたことを新しいしおりに書いた。
『ママの代わりになりたい』
 そのしおりだけは、返事が書かれることはなかった。今考えたら当然だ。わたしは十五歳だったのだから。でも、当時のわたしは、どうして自分が選ばれないのか、納得がいかなかった。だから、湯本に連絡を取った。
『手伝ってほしいことがある』
 記憶は時間と共に美しくなると、聞いたことがある。でも、これだけは無理だろうな。 
『パパをびっくりさせたいんだ』
 湯本からすれば、お安い御用だったと思う。頼みごとのために、いつか切るつもりだったカードの『身代わり出頭』。使うタイミングは、今しかないように思えた。それに、三千円分の仕事でよかったけど、彼女の中では利子がついていたらしい。
 カトーは、別荘を持っていた。夏休みの何日かはそこで過ごすことになっていて、わたしはお気に入りの帽子をわざと忘れて帰ってきた後、『取りに連れて行ってほしい』とお願いした。別荘の二階の窓は鍵を開けてあって、中には覆面を被った湯本がいる。そんな計画を立てるぐらいに、無機物みたいなカトーがどんな人間なのか、気になり始めていた。
 二人で車に乗っていると、不思議な気分だった。化粧をしたわたしとは親子には見えないらしく、サービスエリアではあちこちから視線を向けられた。別荘に着いて、一階で帽子を回収した時、湯本が二階で足音を鳴らした。カトーが階段を上っていき、わたしも後に続いた。上がりきって部屋の前に立った時、打ち合わせ通りに湯本が勢いよくドアを開けた。知っているはずなのに、わたしは飛び上がって後ろに転んだ。でも、カトーは全く動じなかった。視線がうろうろと動いて、その方向で何を思い出しているのかが分かった。わたしがしおりを挟んだ本が置いてある高さだった。
『なんだよ、マジで言ってんの? 親子で二股しろってか? てか、君は誰だよ?』
 湯本を見るカトーの目に、初めて光が入ったような気がした。その馬鹿にしたような口調に驚いたわたしは、一体何を期待していたんだろうと、今になって思う。でも、わたしは三年も待ったのだから、その資格があったと思う。芸能スカウトに声を掛けられたのが、ちょうど節目になった。わたしが雪乃を超えたということは、カトーも理解していたはずだ。それに、湯本を家に入れたことは、一度もなかった。逆もまたしかり。だからこのドッキリも成り立つとか、単純に考えていた。カトーは湯本に言った。
『警察行きだな。覆面取れや、てめー女か?』
 その荒々しい口調は、もはやカトーじゃなくて、ただの義理の父親、加藤達也だった。わたしにはスリルも、余裕もなかった。ただひとりで受け止める自信がなかっただけだ。それがこんな風に展開するとは、思ってもいなかった。ほんとに期待外れだったな。わたしは、段ボール箱の中から出てきた別荘の写真を眺めた。
 しばらくそうしていると、山市さんから、返信メッセージが届いた。教授の件。わたしは喪服を持っていない。
『大きなお通夜はしないって。棺、開けられないんだって』
 ああ、そうなんだ。そんな風に死んだ人間を知っている。三人で一階に下りて、カトーが覆面を取らない湯本の頭を掴んだとき、わたしはキッチンから持ってきた果物ナイフでカトーを刺した。一度も触れられなかった体に、刃先が我が物顔でするすると入っていって、自分の手の延長だという感覚すら曖昧だった。一階の広間に倒れて動かなくなったカトーを見下ろしていて、気づいた。これがわたしの『悪い病気』なのだと。湯本の病気をずっと助けてきたんだから、助けの手があってもいいはずだ。そう思ったわたしは、自分の腕に切り傷を走らせて、湯本に言った。
『これ、捨ててきて』
 覆面の侵入盗。運悪く鉢合わせした別荘のオーナーと、その義理の娘。わたしは、状況を掴めていない湯本に言った。
『求心力チャレンジだよ。わたしの番』
 カトーがわたしを傷つけて、わたしがカトーを殺して、結果的に湯本を傷つけた。ナイフを持って逃げていった湯本の後姿が見えなくなってから、わたしは仰向けに倒れたカトーの隣に腰を下ろすと、しばらく見つめていた。やはり、カトーは黙っているのが一番素敵だった。顔を刺したから、棺は開けられなかった。『生き残り』のわたしには、ありとあらゆるカウンセリングが行われた。侵入盗は指名手配になったけど、カトーは仕事で人の恨みを買っていたらしく、週刊誌にはわたしの知らない悪評が色々と書かれていた。そして、雪乃は今でも、あの家にひとりで住んでいて、住人と自身の家政婦の二役をしている。わたしは、腕に自分でつけた傷が薄く残っているだけで、人生を手に入れた。今はようやく、普通の道が見えている。誰もいなくなるまで周りのものを食い尽くして、ここまで来た。
 かつての地元で起きた火事。消防車が集結している様子を誰かが撮っている。SNSにはようやく、地元ならではの書き込みが目立つようになっていた。わたしが聞かなくても、誰かが書き込んで、誰かが勝手に答えている。わたしはスマートフォンの画面をスクロールする手を止めた。
『水道屋なのに燃えてて草』
 もしかして、湯本の家だろうか。過去と唯一、繋がっている糸。わたしはスマートフォンを手に取ると、山市さんに電話を掛けた。こんなことを自分の手がするなんて、思いつきもしなかった。山市さんはすぐ電話に出て、少しだけ世間話をした後、自然に教授の話になった。
「ショックだよねー。薄々、分かってたけどさ……」
作品名:Soft targets 作家名:オオサカタロウ