Soft targets
「二週間だもんね」
わたしが言うと、山市さんは小さくため息をついた。
「なんかさ、人の家で亡くなってたらしいよ。オーナー、トラウマじゃない?」
確かに、住みたくないな。そんな家には、思い当たる節がある。山市さんとは共有できない話題。通報した後、カトーに寄り添って、その体温が消えるまで血の海に横たわっていた、十五歳のわたし。他人なら、あんな現場には住みたくない。
「人の家って、マジで人の家にあがりこんだってこと?」
「空き家ってか、別荘?」
電話の向こうでパソコンのキーボードを叩いているようだった。山市さんは、発音し辛そうに別荘地の名前を読み上げた。
「わざわざ、ここまで来るってよっぽどだよね。教授は別荘持ってる人多いし、憧れとかあったのかな?」
「人は分かんないね」
しばらく話した後、わたしは電話を切った。山市さん、教授は別荘に憧れていたんじゃないと思うよ。多分、死にたいとすら思っていなかったはずだ。その別荘地は、かつての殺人現場。被害者は加藤達也と義理の娘で、犯人は覆面を被っていた。今、わたしのスマートフォンには、かつての地元の出来事。傍らには思い出の詰まった段ボール箱。
わたしは、置き去りにしたはずの場所に立っている。
これは、『求心力チャレンジ』だ。湯本の番が始まったのだ。刃物は全部、引っ越しの荷物の中に入っている。これでは、手元にないのと同じ。付き合ってあげたいけれど、今更、病気だった頃に戻るわけにはいかない。でも、あの殺しを知っている以上、そっちがそのつもりなら、生かしておくわけにもいかない。人生がこれから始まろうとしているのに、あなたの姿がないか見回しながら生きるのはごめんだ。
今まで、管理人の言っていた通りに、廊下に面した側の電気をずっと点けてきた。でも、『誰かがいると思わせることで、防犯になる』という説は、楽観的すぎる。仮に目的がわたしなら、意味がないどころか逆効果だ。わたしは、部屋の電気を全て消した。目が慣れるよりも先に、すりガラス越しに廊下の蛍光灯の光が差し込んできた。初めて見る光景だった。外がこんなに明るいなんて。でも、この方が外の様子は分かる。
わたしはスマートフォンを手繰り寄せた。警察には電話できない。人殺しである以上、そんな権利はとっくに放棄している。それに、こんなのは騒ぐだけのことじゃない。困るのは確かだけど、誰かに助けを求めるほどのことでもない。ただ、忘れ物を取りに戻ってきただけだ。それが『求心力チャレンジ』で、笑う犯人に見られているとも知らずに。わたしは立ち上がった。山市さんは、泊めてくれるだろうか。
『今から、ちょっとお邪魔していいかな。怖くなってきた』
わたしがメッセージを送ると、山市さんからすぐに返信が届いた。
『分かるよ。泊まってく? でもさ、この時間に出歩くなら不審者に気をつけなよ』
そうだよね、このマンションはずっと不審者に悩まされてきた。もしかしたら、今だって。
部屋に差し込む光がふっと暗くなった。光をくり抜いて、影が足元まで伸びている。そうか、最初からここが、最後の踊り場だったんだ。わたしは振り返った。
冷たい人生の中で感じた、唯一の温度。
覆いかぶさるような、真っ黒な猫背。
作品名:Soft targets 作家名:オオサカタロウ