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桐生甘太郎
桐生甘太郎
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「さよならを言うために」1~5話

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店を変えて、やってきたのは馴染みのイタリアンバルだった。どうして飲み屋なんかに未成年の、それもわざわざ非行少女のような子を連れて来たかと言うと、僕自身が地元ではほとんどの店から「出入り禁止」と締め出されていたからだ。

僕はどの店でも、酒が飲める店なら二度三度飲み過ぎで救急車を呼んでもらって、騒々しいからと店長から「出禁」とされた。ファミレスでも、中華料理店でも、フレンチでも。そんなもんだから、まずこの子を連れて来る店がここと、そしてさっきの喫茶店しか残っていなかった。もちろん僕は今日は酒は飲まないが、ことによるとこの子が飲みたがるかもしれない。それは絶対に止めなきゃなと思っていた。

琥珀色のランタンに見立てた灯りが吊るされた店内は、カップル連れや友達仲間の集まりなどで賑わっていて、僕たちはなるべく人目につかない、隅っこの小さなテーブル席を選んで座った。ウエイターはメニューの冊子を置いておすすめのワインなどを教えてくれたけど、僕は聞いていなかった。彼女はその冊子を開いて写真や文字を見比べ、数十秒してから、「いっぱいあって、よくわかんない」と笑った。

また“意外だな”と思った。お酒を飲みたがるような気がしてたのに。もちろんそれを期待していたわけじゃないけど、それとなく彼女に、「煙草は吸うのにお酒は飲まないんだね」と聞いてみる。すると彼女は一瞬だけきつい目で僕を睨んでから、つまらなそうに横を向いた。

「お酒は嫌い」

そう言って横を向いたままうつむいた彼女は、もう何か酒に嫌な思い出があるように見えた。“おいおい嘘だろ。十四歳だぞ?”、僕は一体彼女がどんな人生を歩んでいるのかが本当に心配で、それから彼女にいろいろと聞こうと思った。注文を取りに来た店員には、スパニッシュオムレツとアヒージョ、それからマルゲリータを頼んだ。

「僕はさっき、“君に興味がある”って言ったよね」

「うん」

まだテーブルに水しかないときから、僕らは話を始める。彼女はもう機嫌を直して、僕の話に答えてくれた。

「でもそれはね、あまりいい意味じゃない。もし僕があの喫煙所で君に誘いをかけてどこかに連れ込もうとしても、大して抵抗はしなさそうに見えた。だから心配だったんだ。あれはもう八時過ぎてたしね。それに、あそこは喫煙所だ。中学生が来る場所じゃない。それに、そういうところに来そうな中学生は大体“反抗期まっしぐら”って感じで、自分の身を守ろうと必死に周りを傷つけるけど、君はそういう子にも見えなかった。つまり、あんまりに不可解で、かつ、やっぱり心配だったんだよ」

彼女は僕の話を聴きながら、またあの“腑に落ちない”顔をしていた。まるで、自分が心配されていることに気づいていないような。僕が口を閉じてから彼女はひと口水を飲み、「うーん」と唸ってから、こう言った。

「話はわかるけど…それ話すと、延々と続くよ?」

「えっ?」

僕は思わずそう口に出してしまった。まさかこんな幼い子に、“話し尽きない悲しみ”などがあるのだろうか?僕がそう考えているとき、彼女は自分の言ったことがおかしかったのか、くすくすと笑っていた。

「初対面の人に言うことじゃないかなあ。いろいろソーゼツだし。そんなことより、あなたのことを聞かせてよ。聞いてなかったね、名前は?」

そんな台詞を言いながら、たった十四の女の子がころころと楽しそうに笑った。僕はそのとき、もしかしたら無理にでも彼女のことを聞くべきだったかもしれないけど、それをしたら彼女が余計に高く壁を構えるんだろうことはわかっていた。

「あ、えーと、日下部文雄…君は?」

「藤田百合。ユリでいいよ」

「あ、じゃあ、僕は文雄…で…」




それから僕たちはウエイターが運んできた料理を食べながら、なんでもないことを話した。それこそ本当に天気の話や、近頃流行っている音楽の話、それから僕の仕事のことなどだ。彼女は「学校なんか行かないよ」と言って、自分の学校の話はしてくれなかった。僕は“そこにも何かある”と睨んで、オムレツを頬張る彼女を見つめていた。

あっという間に一時間半ほどが経って、途中映画や本の話もしたけど、そのとき気づいたことがある。彼女はまだ幼いのに、かなり古い本や映画についての知識がもうあった。それにそれらに対して、ほとんど大人が抱くのと同じような印象の、それでも少し未完成な観念を持っていた。僕がそれに対してひと口ふた口意見を添えると、彼女は感心したらしい顔で聴いてくれた。これも意外だった。ただの幼い子だと思っていたからだ。

そうして話し飽きて料理も食べ終わり、僕たちは店を出た。僕が自分の腕時計を見ると、安物の文字盤は夜十時半を指していた。しまった、話し込んでしまった。僕は前を歩く彼女に声を掛けて、家の近くまで送ることを提案しようと思っていた。すると、くるりと彼女は振り向く。

「楽しかったね!こんなに気が合う人って初めてかも!」

その言葉は、子供の食べる飴玉みたいに、素直に僕の胸に刺さった。彼女が振り返った勢いで前を開けたジャケットがはためいて、ショートカットの髪もふわっと浮き上がった。それから彼女はにこにこっと笑って、今では男を口説くときの常套句として使われているような文句を言ってみせた。それなのにときめいたのは、多分僕が、“彼女は気を利かせようなんて考えないような子だ”と、知っていたからだろう。

「メッセやってる?交換しようよ」

僕は彼女のその言葉に大人しく従って、連絡先を交換してしまった。それから僕は彼女を家の近くまで送ることにしたけど、彼女は「いいよ、もう一人で帰れる!」と子ども扱いされているのだと勘違いして怒っていた。それに僕が「ダメだよ。こればっかりは聞きなさい。夜は危ないんだから、大人の女性だって僕は送っていくさ」と返すと、しぶしぶ彼女は一緒に駅前からバスに乗った。





「ここでいいよ」

バス停からコンビニまで歩くと、彼女は僕を振り返って、「また暇な日に連絡する」と言って歩き去って行った。でも僕は、彼女が前を向く前に、見た。彼女の顔が一瞬で深い悲しみに暮れているように曇り、さっき会ったばかりのときに戻ったのを。その暗い表情は、コンビニの出口から漏れてくる灯りだけにわずかに照らされて、夜の闇に半分溶けていた。




帰宅するまで彼女のことを考えていた。

“これから家に帰るというのに、彼女は安らいだ表情にはとても見えなかった。ということは、家にも何かある。自分のような立場ではそれに口は出せないけど、僕は彼女をもう放っておけなくなってしまった。彼女の苦しみはなんだろう?それは誰かによって拭われるべきか、支えられるべきじゃないだろうか?いいや、これは僕の身勝手な恋心が彼女に近づきたがって、理屈をひねり出しているに過ぎない。大抵の大人には、よその子供に対してしてやれることなんか、何もない。僕は彼女を見ていたいだけなんだ。だとするなら、手を引くべきだ。こんなおじさんに近寄られたって彼女にいいことなんかないし、よしや彼女もその気になってくれたとして、僕が彼女に用意してやれるものなんか、ほとんどないじゃないか…。”