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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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「さよならを言うために」1~5話

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僕たちはそれから数年、それまでと変わらない関わりを続けて、僕は一時期は他に恋人を作ったりもした。でも、いつも相手とはうまくいかなくなって結局別れた。「本当に好きな子の代わりだ」なんてわざわざ告げたりしなくても、僕の方で相手に愛着がないのだから、いつも恋人は僕に大切にしてもらえないことを寂しがって、離れて行った。僕はそうやって罪を重ねながら、それでも一番大きな罪は犯さないようにしているのだと、自分に言い聞かせた。




「ねえ、文ちゃんちってどこにあるの?駅から近い?」

僕は東京に電車で行くほどの余裕もなく、車も持っていないので、僕たちは僕の地元の駅か、それか二人の家の中間にある駅で待ち合わせて遊びに行く事が多かった。その日は僕たちはその中間地点の駅に近い喫茶店で話し込んでいた。ユリはナポリタンスパゲティを平らげてから、その店のブレンドコーヒーを飲んでいた。その頃のユリは、もうブラックコーヒーを愛飲するほど大人になっていて、僕たちが出会ってから八年が経っていた。ユリは今では、二十二歳だ。時折髪を伸ばしてみては、「やっぱりめんどくさい」と言ってショートカットに戻るけど、僕は長い髪をただ素直に下ろしていた彼女を、「とても綺麗だ」と思った。もしかしたらユリは、大人の女性になるのが恥ずかしいのかもしれない。ふっくらとしていた幼い頬がすっと引き締まった大人になり、さらに美しくなってからも、彼女の表情はどこか寂しそうな子供のままだった。

「あんまり近くもないかな、バスに長い事乗らなけりゃね」

八年も経ってやっと家のある場所を聞かれる友人関係というのも珍しい。でももしかしたら、“私たちは家の場所を知るほどのとても親しい友人関係になるのも良くない”と、ユリも思っていたのかもしれない。

僕はそのとき、必死に自分を押さえつけていた。“もうそろそろ、本当のことを言ってしまおうか?”と望む気持ちだ。“でもそれはきっと今ではない。”そう思ったとき、僕の中に新しい考えが生まれた。というよりは、僕が必死に見ないでいよう見ないでいようとしていた考えを、“いつユリに言えるだろう”と考えることで、見つけてしまったのだ。

“当たり前に考えて、僕たちは友人同士で居ることもしてはいけない。僕はいつかユリと道を別にしなければいけない。ユリにとっては、同年代の友達と新鮮な刺激を交換し合うのが健全なのだ。”というものだ。それは人生における重大な絶望なんかよりよっぽど軽い傷のはずなのに、僕は若い頃に感じたような激しい痛みと、この先生きていても仕方ないように思うほどの大きな絶望を感じた。



ずいぶん長い間答えを引き延ばしてきたんだな、と、僕はユリと別れてからの帰り道に思っていた。そうだ、僕は引き延ばしてきただけだ、最後の決断を。気持ちを告げるか、友人としてもきっぱり別れるか。前者はまともな大人ならやらない。でも僕は後者を選びたくなかった。だから“きっとユリが大人になってからなら言える、彼女が自立してからなら、そこからは自分の責任なのだから。”と思い込むことで、なんとか引き延ばしてきた。でもそれはどだい、大それたことだったのだ。

僕は今、五十一歳だ。確かにユリは大人になったけど、僕は年をとった。そうだ。僕はこれからどんどん年老いていく。そしてユリは美しい時代を生きるのだ。それに、こんなに年が離れていたら、ユリはいつまでも僕のことを一人の男性として見るなんて不可能だろう。“一体僕が彼女に声を掛けてどうするというのだろう?幸せにする?派遣会社にこき使われてる五十路の男が?”僕の心は冷たく尖っていき、僕は街頭もほとんどない暗く寂しい夜の田舎道を歩いた。






ユリは、もう一度自分を傷つけ、救急車で病院へ運ばれた。

“やっほー、また病院にいまーす。お見舞い来てねー”

そんなメッセージのあとで、病院の名前と住所が書き添えてあった。僕はそのメッセージ欄を見て愕然とし、まだ彼女を蝕み続けている苦しみは終わってはいなかったということに、打ちのめされた。ユリが軽い冗談みたいに打ったメッセージを見るのが辛かった。“そんなになんでもかんでも冗談にしないで、もうどうか本当のことを話してくれ。”と頼んだら、彼女は口を開いてくれるだろうか。それとも、僕と永遠に関係を絶つのだろうか。

僕は“自分では彼女の助けになんかなれない”と分かっていたのに、ユリの元へと心は走った。二日後に僕は、お見舞いのためにユリの好きな甘いクッキーを買って、ユリが入院している病院へと向かった。



そこは、閉鎖された空間だった。僕は病院の面会受付で名簿に名前と時刻を記し、それからすぐに小走りで僕のところに迎えの看護師が現れた。「藤田さんへの面会ですね」と聞いてきた看護師は僕と同い年くらいの女性で、茶色の髪をひっつめた背の低い人だった。その看護師に連れられて、ユリの病棟を訪れる。看護師は制服のベルト通しにつけてあったチェーンの先にある鍵で病棟の入口を一瞬だけ開けて、僕を招き入れた。

病院は古いコンクリートの建物だった。その奥にある病棟も少し老朽化が進んでいるようであちこち傷みが見えたけど、まだしばらくは病院としてやっていけそうだった。病棟の入口を入るとホールがあって、患者が食事をする細長いテーブルがずらっと並んでいる。その反対側には、話をするためのような、丸いテーブルにいくつか椅子が据えられたセットが二つあった。それから、ソファもいくつか壁際に寄せてある。何人かホールに居た他の患者が僕を振り返ったけど、僕が見舞いの品を手から提げているのを見ると、見舞い客だと分かったようだった。そして、“興味はあるが関係はない”といったようにみんな目を逸らして、それからたまにちらちらとこちら見ていた。

「病室は206ですので、ご案内します」

看護師は簡素な挨拶のようにそう言って、僕をホールから細く伸びている病室への廊下に連れ出した。

「あっ!文ちゃん!」

僕たちは廊下を歩いていたけど、突然僕は後ろから呼ばれて、慌てて振り向いた。そこにはパジャマ姿で髪をタオルで拭っているユリが居た。

「あら、藤田さん、面会の人ですよ」

「うん。文ちゃん来たんだ。連絡くれればよかったのに」

ユリはパジャマのポケットに手を入れてスリッパを引きずり、僕のところまで嬉しそうにちょこちょこと歩いてきた。

「お見舞い、クッキーで大丈夫だった?」

僕がそう言うとユリは、「ほんと!?ありがとう!」とまた嬉しそうにしていた。僕はそのとき戸惑っていた。ユリの様子は落ち込んでいるようには見えなかったから。むしろとても元気そうに見える。“僕は“元気づけよう”と思って見舞いに来たのに、かえって無理に元気なように振る舞わせているかも”と、そのことがずっと気になった。






「入院退屈だよ~、外出たい~」

「外出とかできないの?」

僕たちは「話し声が周りの患者さんの迷惑になるといけないし」と、ホールにある椅子に掛けて話していた。ユリはテーブルに体を思い切りもたせかけて、「退屈で仕方がない子供」のようにしている。

「ダメだって。死ぬかもしれないからってさ」