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短編集83(過去作品)

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部屋に置かれた二つの石



                部屋に置かれた二つの石


 遠い海を見ていると、一人の女を思い出す。
 彼女とは数ヵ月後に結婚することになっていた。お互いに幸せの絶頂だったことには違いない。どこに行くにも一緒で、離れていると不安で仕方がなかった。その日はなぜか不安に感じることがなかったのが悔やまれるくらいで、なぜ不安でなかったのかを考えれば、それこそが「虫の知らせ」だったのかも知れない。
 幸せの絶頂というと、却って不安になってしまうことがある。樋口和豊も同じで、いや、他の人よりもその思いは強いかも知れない。いつも一緒にいたいという気持ちは、不安を取り除きたいという気持ちの裏返しでもあるからだ。
「あなたって心配性ね」
 彼女である新見和子は和豊と違い、しっかりしている。だが、あまりおせっかいでないところが和豊には嬉しく、男性だけではなく女性にも人気があるのはそのあたりに原因があるに違いない。そして他の人が知らない彼女を知っているということが、和豊には大きな意味を持っていた。おせっかいでないところは、知り合った時から分かっていたが、それも知り合ったきっかけから考えれば当然とも言える。
「君がしっかりしてくれているから助かるよ」
 実際にそう感じていた。自分がしっかりしていないとは思っていないが、和子にとって和豊は頼りなく見えていることだろう。
「そんなことないわよ、私はあなたを頼りにしているのよ」
 ウソか本当か分からないが、その言葉は嬉しかった。和豊は、
――頼りにしている――
 と聞いただけで、その気になってしまう単純な男でもあった。そんなところが和子にとって安心感を与えるところだったに違いない。
「あなたといると安心できるのよ」
 常々そう言っていた。和子くらいに慎重な女性が結婚を決意するのである。中途半端な気持ちでないことは確かで、有頂天になっても当然ではないだろうか。
 そんな和子が死んだ。
 何の前触れもなく和豊の前からいなくなったのだ。本当に悲しい時は涙も出ないというが、まさしくそうだったかも知れない。話を聞いた時、信じられないという気持ちと、自分がまるで他人になったような気持ちになったのがその証拠だろう。昨日まで目の前で笑っていた和子、もうその姿を見ることは永遠にできないのだ。
 きっと、葬儀も終わりすべてが片付いたら号泣するかも知れない。きっとするだろう。それがいつかはハッキリしないが、和豊にはそれだけが分かっていた。
 友達との仲を大切にしている和子は、結婚前に友達との思い出作りということで、前々から計画していた旅行先でのことだった。元々計画は和子が立てたもので、今までも学生時代などに旅行に行く時も、必ず和子が立てていたようだ。
「私、立案するのも計画を立てるのも好きなのよ」
 そう言いながら楽しそうにパンフレットを広げていたっけ。目を瞑ると、その時の光景が今さらのように思い浮かぶ。自分と一緒にいる時以外でこれほど楽しそうな表情をする和子をあまり見ることはない。
「楽しんでおいで」
 と言った時の和豊の顔も、きっと屈託のない笑顔だったに違いない。
 それがまさか帰らぬ人になるとは思ってもみなかった。それが分かっているならば、意地でも行かせなかったと後悔しても始まらない。後悔は相手が二度と生きて戻ってくることがないため永遠のものとなるはずだ。なぜかそのことを自覚している。自覚していて覚悟しているのだ。
 人が死ぬということが悲しいことであることには違いない。特にこれからずっと一緒だと思っていた人である。心の中にポッカリと空いてしまった大きな穴、誰がそれを埋めることができるだろう。埋めることができるとすれば彼女一人だ。その彼女がいないのである……。考えても考えても袋小路から抜けることができるわけがない。
「時が解決してくれるさ」
 とよく言われるが、では時とは一体どれくらいのものなのか?
 考えても見当がつくわけもない。ただの気休めに過ぎないと考えてみても、埒が明かない。自分という人間の考えていることが自分で分からない状態になっているのだから他力本願でもいいように思うが、却って根拠のないことを信じられない自分もいるのだ。「時」という言葉がそのまま袋小路の入り口になりそうで怖くもあった。
――夢の中ならきっと彼女と一緒にいれるだろう――
 と考えて眠りに就くが、そんな時に限って夢の内容をまったく覚えていない。何かの夢を見たことは意識として覚えているのだが、その中に彼女が出てきたか定かではない。だが、彼女が出てきたことだけが意識の中にあり、それを覚えていないとするならば、そっちの方が悲しい。まるで生殺しのような気分に陥ってしまう。
 目の前に置かれた写真は笑っている。ずっと永遠に笑い続けるのだ。
 彼女の最後がどんなものだったのか、想像もつかない。聞いた話ではかなりの大惨事だったらしく、地元の新聞にも大々的に載ったらしい。車数台の玉突き事故で、しかもタンクローリーが挟まったのではたまらない。
「でも、即死だっただろうから、苦しまなかったのは不幸中の幸いだったようだね」
 自分の義母になるはずだった人がそう呟いた。それが本心なのかは分からないが、そうでも言わないとやりきれない気持ちなのは間違いのないことだろう。
 母親としては最後娘が安らかだったと思いたい。かくいう和豊も同じ気持ちだ。亡骸すらない葬式だったが、霊前で笑っている和子の遺影は実に皮肉に思えた。
――いつも笑顔を絶やさない――
 それが彼女の信条だった。笑顔に惚れたといっても過言ではない。彼女の笑顔に魅せられて、何人の男性が胸焦がれたことだろう。詳しくは知らないが、和子がそのことを知っていたかどうか今となっては分からない。
 長い髪が印象的で、染めているよりも真っ黒な髪が綺麗だと言うと、それまで茶色に染めていた髪を黒に戻してきた。そんな素直なところのある和子は素敵だった。
「和子にとって俺はどんな人間なんだい?」
 改まって聞いたことがあった。それまでに何度聞いてみたいという衝動に駆られたことだろう。思い余って聞いてみたが、彼女の答えはハッキリとはしなかった。
「ふふふ」
 ニコニコとした笑顔が印象的で、ちょうど遺影に掲げられた写真のようだった。その笑顔を見つめていると、今にもその時の答えを言ってくれそうで、視線を逸らすことができないでいた。
「あなたは、私のどこが気に入ったの?」
 と逆に聞かれた。
「君のその笑顔さ」
 それ以外にもいっぱいあるのだが、それだけが即答できた。
「そう、私はあなたのそんなところが好きになったのかもね」
 どんなところだというのだろう。本人だからピンと来ないのだろうか。他人だったら気づくかも知れないと思いながら、漠然とした気持ちになっていた。
「笑顔って、本心からなのかしら?」
 不思議なことを言っていた。おそらく自分の笑顔についてのことだろうけれど、自分の表情が時々信じられなくなるのは、和豊も同じだった。少し茶色い目で見つめられると催眠術に掛かったようになり、素直になれる自分を感じていた。
作品名:短編集83(過去作品) 作家名:森本晃次