狐鬼 第一章
「しゃこー、しゃこー」
愛犬の名前を呼ぶも
一向に戻って来る気配のない様子に彼女は溜息を吐く
長閑な、片田舎の風景の中
のんびり散歩しながら稲荷神社に辿り着いた
然程、広くはない参道
正中は神の道
左右の端を通るのが正式な歩き方だよ
と、教えてくれた彼の言葉通り、片方の端を選んで歩みを進める
彼がやんちゃそうな笑顔で自分に問いかけた
「誰が鳥居を潜るのか?」
「誰が参道を通るのか?」
行き成りの、問いに自分は答えられなかった
忘れればいい
忘れられればいい
忘れられるか如何か、分からない
其れでも自分は決断した
如何しても忘れられない、と自分は決断した
其れが「正しい」のか
其れが「誤り」なのか、分からない
今だから分からないのか
何時かは分かるのだろうか
「正しい」のか
「誤り」なのか、分かるのだろうか
上の空で境内に足を踏み入れた途端
開けた場所に興奮した、しゃこに引っ張られ思い切り蹴躓く
咄嗟に踏ん張るも、しゃこの勢いは止まらない
仕方なく首輪と引き綱を繋ぐ、金具を外したのは失敗だった
瞬間、脇目も振らず舞台目掛け突進する
しゃこを追い掛けるも当然、追い付く筈もなく彼女は慌てた
結構、高さのある舞台だ
万が一にも二にも舞台上に飛び乗る事は無理だと舐めてた
真逆、舞台下の僅かな隙間を暴走列車の如く突っ込んでいくとは
「待て待て待てー」
彼女の呼び掛けも虚しく、しゃこは屋敷の方へと抜けてしまったようだ
ああ、みや狐がいるのに…
勿論、舞台横の板塀扉から
向こう側へ行こうと思えば行けるのだろうが、行く気になれない
自分は邪魔者だ
当然、しゃこも邪魔者だ
何方も邪魔者なら
しゃこの方が(巫女の)自分よりは幾分、増しな筈だ
多分
等と都合の良い解釈をした所で
取り敢えず、休憩がてら板張りの蹴込みに凭れて屈む
舞台横の板塀に立て掛けた
旅行用鞄を引き寄せ、前面部分の留め具を開ける
一息吐く
畳まれた衣服の間に包み込むように仕舞った
硝子風鈴を見つけ出すも言葉を失う
予想はしていた
夜の静寂(しじま)を劈く咆哮
地響きを連れ立って爆ぜる閃光弾、無事な訳がない
心理的にも
物理的にも罅が入ってしまった
今にも割れそうな硝子風鈴を慎重に取り出すも駄目だった
彼女は何を思うのか
自分の手の中で割れた
硝子風鈴を合わせて何とか、くっ付けようとするも無理だった
当たり前だ、と彼女は空笑う
「後は割らないように気を付けよう」
と、誓ったのに守れなかった硝子風鈴を、旅行用鞄に仕舞う
仰ぐ、青天が高い
堪能する事なく過ぎていく
此の夏の終わりが、「彼」との終わりになるのだろうか
白狐は「巫女」を救いたい
自分は出来る事なら「彼」を救いたい
彼を「鬼」だという、白狐の言葉は嘘じゃない
其れでも彼の優しさの全てが嘘だった
と、言い切れない自分がいる
此のままじゃ駄目だ
此のままじゃ白狐の、巫女としての役目に応えられない
だけど、自分は出来る事なら「彼」を救いたいんだ
「何処の恋愛小説の主人公だ?」
自分自身で笑い飛ばせば多少、救われる
瞬間、突として頭上を飛ぶ越える二つの物体
無意識に悲鳴を上げる彼女を振り返る白狐が大口開けて、叫ぶ
「此奴、滅茶苦茶捷(はしこ)いぞ!」
其の言葉通り
飛び掛かる、白狐の前足の隙間を縫うように抜ける
しゃこは幾つにも分かれ伸びる尻尾の追尾からも、ひょいひょいと身を躱す
熊並みの巨体を捩じる
白狐が本気ではないにしろ、大口を開けて食らい付こうとするも
素早い身の熟しで其の鼻先を蹴り上げ、白毛の背中を駆け下りていく
思わず悪態を吐き、歯茎を剝く
白狐の口元が心做しか、笑って見えるのは錯覚だろうか
彼女が傍観する中、二匹?は如何にも止まらない
「きゃん!きゃん!」
吠えながら境内を駆け回る、しゃこ
当然、白狐は容易く追い詰めるも、しゃこは華麗に其の身を躱していく
自棄糞の攻撃なのか
途端、其の巨体を回転し始めた
白狐に「嫌な思い出が過ぎった」彼女は慌てるが
しゃこは難無く飛び乗り、玉転がしの要領で見事に攻撃を無効化する
「あ、ははは」
白狐には申し訳ないが、笑わずにいられない
何時の間に二匹?は仲良しになったのか、と首を傾げるが
まあ、いいか