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狐鬼 第一章

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大分、前から鼻がむず痒い

ざらりとした、ぬるりとした感触が
只管、鼻先を滑る感覚に白狐は口元を歪める

如何やら寝てしまったようだ

顎を上げ、首を伸ばす
大口を開けて欠伸を噛ます白狐が、しょぼしょぼする瞼を開ける

遠く、蝉時雨が耳を打つ

微睡み、乾いた咽喉を鳴らす眼線の先
ちょこんと座る、しゃこの姿を見留めると素早く静かに後ろ足を立ち上げた

何時でも退ける身構えをしながら
白狐は充分、湿った此の鼻先はしゃこの仕業か、と至る

自分の縄張りとはいえ、油断した

抑、其の理論なら今の自分には
眼の前のしゃこに「切れる」権利があるのではないか?

抑、「無益」「貧弱」「小者」相手に
此の権利を主張する事に何の意味があるのか?

此処は大人の対応だろう

白狐の自分への悪態等、知る由もない
しゃこが前傾姿勢で「わんわん!わんわん!」急き立てる

時折、小首を傾げ上目遣いに此方を窺う
其の愛くるしい仕草には覚えがあった

結果、相手をする母親と彼女の姿を隠れて見ている

「此奴に気付かれないように」
と、苦渋を味わう日日を思い出し眼の前の、しゃこに凄む

真逆、此の俺に「遊べ」と、言ってるのか?

皮肉を込めたつもりだったが
「正解!」とでも言うように其の場で勢い良く回転し始める

訳も分からず、しゃこを見下ろす
白狐は漸く思い至る

鼻を舐める行為といい
「遊べ!」と、催促されるといい

若しかして俺は慰められているのか?

途端、「わん!」と、同意?する
しゃこが脱兎の勢いで庭園に向かって駆け出す

釣られたのか、慌てて追い掛ける
白狐が足を止(とど)め巫女の寝床を振り返る

「どうして、一緒に寝んねしないの?」

敷布団の上、添い寝を催促するように枕をぽんぽん叩く
少女が焦れているのか、大袈裟に唇を尖らせる

白狐は翡翠色の眼を泳がす

肝心の母親は少女と共に湯浴した後
今日一日の片付けやら明日の支度やらで忙しない

全く、母親というものは大変だな
お負けに眼の前の少女は可也の甘えん坊と見える

其れでも母親が難儀する類の我儘は言わないようだが
同様、自分に甘えるのは些か的外れだ

「如何して、だ?」

質問を質問で返しても少女は怒る筈もなく
右手、人差し指を顎に当てて小鳥の如く、首を傾げる

「どうして?」

真逆の、質問返しの質問

自分の事は棚に上げた
白狐が歯茎を剥き威嚇宜しく、少女に迫り寄っていく

此の姿を見せて久しいが時偶、怖気立つのには気が付いている

其れなら其れで構わない
馴れ合い等、必要ない

お前は生きていく事だけを考えて呼吸すればいい

「巫女たる者、強くなれ」

「弱い巫女等、必要ない」と、迄は流石に言わないが
少女を見下ろす白狐の翡翠色の眼は否応無く、物語っている

白狐の迫力に涙目で唇を噛み締める少女が、頷く

何度も頷いて軈て、耐え切れなくなったのか
白狐の首元に無言でしがみ付く

唯唯、白毛に顔を埋める
少女の身体を幾つにも分かれ伸びる尻尾で抱え込む
白狐が翡翠色の眼を伏せる

此の巫女を守る為だけに、此の身体で生きていけばいい

作品名:狐鬼 第一章 作家名:七星瓢虫