狐鬼 第一章
怯えていた
怯えていたんだ
唯、其れだけの事だったんだ
自分の目の前で断末魔の叫びを上げる
蜘蛛を見詰める少女が其の蜘蛛を握り潰す、拳の持ち主を見上げた
藍白色の着流しの袖から伸びる、腕の白さ
腰迄ある白髪を靡かせ、向いた顔の人間離れした端正さ
翡翠色の眼が少女の、黒紅色の目と合う
そうして歯の根が合わない少女に言い捨てる
「お前にも出来る」
「お前にも出来るから怯えなくていい」
寸前迄、鬼蜘蛛に怖恐れる少女は
今は突然、目の前に現れた自分に戦いていたのかも知れない
一応、獣ではなく人化で対したが間抜けだな
白狐は翡翠色の眼を伏せ、薄紅色の唇を自嘲気味に歪める
追い払うだけでは駄目だ
追い払うだけでは鬼蜘蛛は諦めない
何時か食われる
「戦え」と、言うのは酷だろうか
「立ち向かえ」と、言うのは酷なのだろうか
ならば「生きろ」と、言うしかない
其の身を隠しながら
其の身を逃がしながら
如何にかして生きて行け、としか言えない
幼い少女相手では其れすら言えないが
母親の願いは何だった?
望むが望むまいが
稀に容易く、此方側を覗き込める人間がいる
覚醒した能力を「無」にする事は不可能だ
如何に其の能力と向き合うか
如何に其の能力と付き合うか、其れだけが「有」だ
卓袱台に手を突くや否や、すっくと立ち上がる
回れ右して、開かれた掃き出し窓から庭に降り立つ
お供えの油揚げには及ばないが仕方ない
「長居は無用」
と、向ける自分の背中に少女が弾かれたように叫ぶ
「いかないでー!」
思わず足を止め、振り返る
自分の身体目掛け、もたつく足で駆け込む少女を受け止める
そして何故か、抱き締める
「いっちゃいやだー!」
「ひとりにしちゃいやだー!」
「いかないでー!」
「いかないでよー!」
震える声で
震える身体で止め処無く訴える
此の少女にしてみれば
突如、現れて
突如、鬼蜘蛛を握り潰した、「味方」
唯、其れだけの事だろうが其れでも構わない
温かくも震える此の身体を突き放す事等、出来やしない
「巫女になれ」
泣き噦る少女が
涙塗れの顔面を手の平で拭いながら向ける
其の顔を半目で覗き込むも
逸らす事無く、自分を見詰め返す黒紅色の瞳
成る程、肝は据わっているようだ
「俺の、巫女になれ」
再度、お願い(命令)すると、分かっているのか、いないのか
頷く少女が噦り上げつつも答える
「みこに、なる」
「あたしみこになる、るる」
語尾の、「るる」に耐え切れず笑いを零す
白狐に釣られたのか、少女も目を細めて咲笑う
何と愛らしい事か
思いより先に抱き抱える、少女の小さな身体を腕で支える
「名前を教えてくれ」
そう訊ねる白狐の耳元、幼い手を添える
少女が丸で内緒話のように声を潜めて答えた
「ひばり」
「ひばり、っていうの」
「あなたは?」
こそばゆくも肩を竦めながら白狐も答える
当然、内緒話のように声を潜めて