狐鬼 第一章
19
「もも神」事、すずめが辿り着いたのは
病院裏手の雑木林だった
生きるか、死ぬかの瀬戸際で
「虫は無視」等と、吐かしている場合ではない
螽蟖、蟋蟀、蟬、何でも御座れだ
今は虫だろうと側にいて欲しい程、心細くて堪らない
なのに、如何した事だろう
雑木林の中は水を打ったように静かだ
虫の中の、虫が報せたのか
生憎、自分には腹の虫しかいなかったが
そうして気付いた
あの森もそうだった、と
蝉の鳴き声一つ、しなかった、と気が付いた
白狐の言う通り
自分は何て鈍感なんだろう
息切れする身体を屈める彼女が目の前の樹木に手を突く
其のまま幹に縋り付くかの如く蹲る
そうして気付く痛みに素足を見遣れば泥に雑じって血が滲む
手当てをする気力も湧かず其の瞼を閉じる
白狐は如何しているのだろうか
丸で月を挟むが如く対峙する、二つの影
巫女の為、交戦中なら自分の元には来られないだろう
今迄、当たり前のように差し伸べられた
白狐の腕に矢張り、巫女二人は無理なのだ
結局、自分は何処迄も足手纏いなのだ
如何しても消極的な事を考えて途方に暮れる
彼女が其の気配に気が付く
咄嗟に四肢を縮める、荒い息遣いを呑み込む
「 追い掛けっこ の次は 隠れん坊? 」
からから笑う幼女の声が耳元近くで響くのは気のせいだ
「 た の し そ う ね ♪ 」
其の瘴気を真面に受け彼女は発狂しそうになる
叫び出し
飛び出し
今直ぐ、楽になりたい
無謀な衝動に駆られながらも
震える両手の平で口元を押さえ必死に堪えた
兎にも角にも白狐の元へ戻ろう
物音一つ立てないよう、ゆっくりと立ち上がる
足元に転がる枝に細心の注意を払いながら歩き出す
無我夢中で逃げたが安全地帯は其処しかない
「 きゃは きゃはは 」
幼女の笑声が寄せて返す
其れでも彼女は恐慌する事無く慎重に歩みを進める
自分の息遣いが寄せて返す
一瞬、音無に鼓膜が支配された
幼女の笑声すら聞こえない
自分の息遣いすら聞こえない
気が気でない彼女が樹木の影に立ち止まり、背後を窺う
本音を言えば振り返りたくない
だが、此の状況では振り返るしかない
当然、幼女の姿を見付ける事は出来ない
其の行方が気になる
一体、何処に行ったのだろうか
周囲の様子に不安しかないが、仕方ない
彼女は其の顔を進行方向へと戻す
其処には逆様の姿勢で浮かぶ、幼女の顔があった
「 見ぃ つ け た ああああ 」
にんまり笑う、幼女の顔を言葉もなく見詰める
彼女がぎこちなく尻餅を搗く
くるり、と回転する幼女が彼女目掛け飛び付く
「 捕まえたあああ ああ 」
豪快に引っ繰り返る、其の身体に馬乗りで着地する
幼女の重みに肋骨が軋む
加えて地面に叩き付けられた激痛に歯を食い縛る
彼女の顔を覗き込む幼女が嬉しそうに身体を左右に揺らす
其の揺れが肋骨に響いて堪ったもんじゃない
「 つぐみの勝ちいいい 」
両手を掲げ勝利宣言する幼女が小さな身体を仰け反る
次の行動に彼女も察しが付いた
得意気に舌を出す幼女が其の両腕を勢い良く、振り下ろす
咄嗟に構える腕で抗戦する
「 二度と 二度と近寄らないでええ 」
「 二度と 二度とわんちゃんに近寄らないでええ えええ 」
破茶滅茶に両腕を振り下ろす
幼女の攻撃を文字通り、死に物狂いで腕を構えるも
馬乗りの重みと其の振動で肋骨が不味い
見る見る腕の力が抜けていく
弾かれたら最後、幼女の攻撃を躱す事は出来ない
矢先、幼女の打撃に打ち負けた
開いた胸元に高笑う幼女が両手を叩き付ける
思わず意識が遠のく
顎を上げる彼女の寝間着を鷲掴む
幼女の短い指先、苦内のような鋭い爪が生えていた
「 心臓を抉ってやる から 」
既に彼女の抵抗はない
ぎらぎらと強烈に光り輝く眼差しで
悠悠と彼女を見下ろす幼女の唇が歪に吊り上がる