狐鬼 第一章
「 殺すのか? 」
「 殺すのか? 巫女を? 」
対峙する白狐に向かって歯噛みする
巫女の仰け反る胸元が大きく波打った瞬間、どす黒い液体を噴き出す
不意打ちの攻撃に若干、避け損ねる
白狐は着流しの袖口を汚した液体を眺め盛大に顔を顰めた
口元を拭う巫女が絶笑する
液体は、ぶくぶく泡立ち見る見る着流しの袖口を溶かし出す
「酸、か」
おいおい
其の身体は借り物だぞ
白狐の懸念を余所に巫女が再び、其の胸元を仰け反る
「 全てを 」
「 全てを溶かし尽くす 」
どす黒い液体を白狐目掛け噴射する
「 精精 」
「 精精 逃げ回れ 」
実際は己の逃げ道だ
幸い、一足一刀の間合いだ
頓挫した吽煙は白狐との距離を下がり、退く事にした
だが、そうは問屋が卸さない
どす黒い液体を避ける所か
白狐は矢のような速さで踏み込み、其の距離を一気に零にした
顔の前で交差する鎌爪、鈍く光る刃に巫女の姿が映り込む
片眉を器用に吊り上げる
白狐が眼前の巫女、吽煙に朗朗と問う
「逃げるのは何方だ?」
刹那、巫女の身体が急降下する
白狐は慌てる風もなく
爛れた着流しの袖口(白毛)を毟った後、其の背後を追う
難無く追い付く、巫女の背中を鎌爪で押さえ付ける
途端、段違いに増した速度で降下し始めた
巫女の身体が悲鳴を上げる
堪らず吽煙が叫ぶ
「 巫女の 」
「 巫女の身体が持たないぞ 」
其の事が分からない、白狐ではない
巫女の背中を押さえ付ける鎌爪が心做しか離れる
振り返る巫女の、吽煙の期待とは裏腹に
其の顔を覗き込む白狐が答えた
「だが、お前も死ぬ」
そうして黒紅色の髪が掛かる耳元に唇を寄せて囁く
「俺は返して貰えればいい」
「喩え、其の中身がなくとも構わない」
全ては外連だ
其れでも深潭の如く寂寂たる
翡翠色の眼に怖気立つ吽煙は其の口から這い出た
「 お おのれえええ ええ 」
途端、反り返る巫女の身体が、がくりと前のめる
寝間着の腰紐を掴み上げた
白狐が脱力した巫女の身体を脇に抱える
眼の前の巨大な蚯蚓擬きが上部の窪んだ穴から撒き散らす
どす黒い液体を避けるが如く空の、右手の鎌爪を翳して斜に構える
巫女に掛かれば一溜まりもない
だが当然、吽煙は構わず振舞う
「 食らってやる 」
「 呑み込んでやる 」
「 食らって やる やる やる 」
結局は其れだ
何処迄も貪欲で
最後は道理すら保てない
哀れ、と思う反面、自分も大差ないと思い直す
神に仕えた所で
巫女に仕えた所で獣は獣だ
白狐の翳した、右腕に噛み付く吽煙が蚯蚓擬きの身体を伸縮し始める
「 じっくり 」
「 じっくり溶かしてやる 」
粘着音が混濁する嗄れた低い声が笑う
「 苦痛が長引くように な 」
吽煙の嗜虐的な言動に動じる様子もない
白狐が歪める唇を吊り上げた
「悠長な事だ」
瞬間、呑み込まれた白狐の腕の骨が鳴る、不穏な音が響く
白髪の隙間から覗く、首元
浮き出た血管が激しく脈打つ度、其の牙を歯砕く
血走る翡翠色の眼が吽煙を見据えたまま
呑み込まれた右腕の先、鎌爪を怒涛の如く回転させた
「 … うがぁぁぁ っっ … ぁぁぁぁぁぁ っっっ … 」
四方八方、どす黒い液体を撒き散らす
吽煙が白狐の右腕を吐き出そうと嘔吐く
「 うがぁ うがぁぁ っっ 」
怯む事無く尚も回転し続ける鎌爪が
蚯蚓擬きの身体を引き裂きながら其の奥へと突っ込む
如何やら煙に戻る事は出来ないらしい
等と考える白狐が時間を掛けて散り散りにしていく
本人の希望通り
苦痛が長引くように吽煙の命を削っていく
姿無き黒煙、吽煙は抗う事すら出来ず
寸寸になった身体が夜気に束の間、揺れるも軈て消え失せる
暫くして其の有様を眺める白狐が右腕の、鎌爪の回転を止めた
有らぬ方向に捩じれる右腕を正しい位置に戻す為
ぶるん、と転回した途端
吽煙だった、こびり付いた黒い破片が剥がれた