狐鬼 第一章
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非常口を示す萌葱色の誘導灯が彼方此方で灯っている
薄暗い湖面のような廊下を
白狐は何処へ行くともなく徘徊していた
彼女が寝に就いた途端、居ても立っても居られない
巫女は何処だ
三眼は何処だ
虚ろな目を自分に向ける
唯の人形に成り果てた其の姿が頭を占拠した
堪らず白狐が歩みを止める
刹那、目の前を横切る懐中電灯の光線に片目を閉じた
其の身体を巡回中の看護師が無造作に通り抜ける
思わず白狐は顔を顰めた
他人が自分の身体を入り、抜けて行く此の感覚
気持ちではなく何とも気分が悪い
「浮くか、」
駆け上がるが如く、其の前足が床から離れる
唐突、「何か」が首根っ子にしがみ付く
「わんちゃんだあ!」
「何か」は嬉嬉とした声で燥ぐも
浮き始めた白狐の太い首元に必死にしがみ付いていた
仕方なく前足を地面に戻す
白狐が首を捩じり其の「何か」を、ぎろりと睨め付ける
其処には円らな瞳をぱちくりする寝間着姿の、幼女がいた
「目付きの悪い、わんちゃんね?」
唇を尖らせる年の頃は七、八歳の幼女
白狐が不愛想に返す
「狐だ」
其の言葉に幼女は驚き感動したのか、しがみ付いたまま飛び跳ねる
「お話しが出来るの?!」
「何て賢い、わんちゃんなの!」
「賢さ」は関係ないし「犬」ではない、と白狐は思うが
飛び跳ねつつ自分の白毛を揉みくちゃにする幼女を前に訂正を諦めた
感極まる幼女が其の小さな身体をふさふさの白毛に突っ伏す
「お願い~、一緒にお散歩しよ~」
そうして勢い良く起き上がる幼女は余程、嬉しいのか
寝間着の裾を閃(ひらめ)かせ、踊り子のように身体を回転させる
其の姿を半目で眺めながら白狐は思う
何とも騒がしい
戸締りされた腰窓
窓硝子目掛け軽やかに飛び込む幼女の姿は窓外の闇に溶ける
死人だ