狐鬼 第一章
厚みのある前足の、其の指から長い爪を突き出す
白狐が眼前の油揚げを引っ掛けるや否や、頭上高く放り投げた
瞬間、仰ぐぱっくり開いた口の中へと落ちる
其の何とも言い難い食べ方に言葉もなく見入る
彼女の視線に気が付いた白狐が翡翠色の眼を流す
「何だ?」
思いがけず問われた彼女は言い淀む
俯き、盗み見る
寝台机を挟んで座る白狐の顔面は近い
獣化の、其の感情を読み取るのは容易くないが
喩え人化だったとしても似たり寄ったりだ
だとしても視界の端で捉える幾つにも分かれ伸びる尻尾が
心做しか機嫌良く揺れているようにも見える
然程、機嫌を損ねる事はないのかも知れない
「本当に油揚げが好きなんですねえ、なんて」
自分が知っている狐様の知識等、此の程度だ
彼女の思慮等、余所に油揚げに舌鼓を打つ
白狐が徐に舌舐めずりした後、答える
「其れは「鼠」の油揚げだ」
当然、彼女は其の言葉の意味を理解するのに数分の時間を要した
『昔昔、農耕で暮らしていた
村人にとって農作物を食い荒らす鼠は迷惑な存在だった
其の鼠を好んで食べる狐は村人に崇められ
狐の巣穴の前に好物である
鼠を油で揚げた「鼠の油揚げ」を置く習慣が根付くも
其の後、仏教が伝来した際
殺生は好ましくないという教えが広まり鼠を油で揚げた「油揚げ」ではなく
薄切りにした豆腐を油で揚げた「油揚げ」を供えるようになった』
「鼠の油揚げ」なる物を想像してしまった彼女が無謀にも問い掛ける
「食べ、たんですか?」
「何でも食う」
そうして二枚目の油揚げが白狐の大口に吸い込まれた
微妙に質疑応答になっていないが
空飛ぶ油揚げを眺める彼女には此れ以上、突っ込む勇気がない
思えば自分以外の人間には白狐の姿は見えず
唯、空中を油揚げが飛んで、そして消えていく光景なのだろう
矢張り、個室で良かった
「祭りの時」
ふと疑問に思ったのか
話題を変えた彼女に
白狐は油揚げを放り投げる、其の手を止めた
「其の姿が現れたのは」
前足で口元を拭う白狐が牙を剥く
「巫女だ」
「巫女の能力で如何様にもなる」
無論、神狐の能力でも可能だが気が進まない
見せなければ当然、見られる事もない
態態、見せて見られる事を望む程、愚かではない
「信者達の客寄せ熊猫?」
三眼の言葉が頭を過ぎる
甘んじている理由は当の狐にしか分からないのだから、放って置け
不快を振り払うように其の両耳を
立てたり伏せたりを繰り返す白狐には気になる物がある
目の前の寝台机
食膳に乗った、何とも美味しそうな林檎兎の存在だ
思い立つ、顔を上げる白狐は此方を窺う彼女の目と合う
其の問いたげな眼差しを受けて補足する
「すずめは巫女として浅い」
「故に如何足掻いても俺の姿はすずめにしか見えない」
当然といえば当然だ
昨日今日、巫女になれと言われたばかりだ
そうして林檎兎を指指す
「此れ」と、言い掛けるも彼女は既に思案顔だ
仕方なく指指した指で
傍らの油揚げを引っ掛け頭上に放り投げる
軽く握る拳を顎に宛がう彼女の姿勢は「考える人」其のものだ
「浅い」って?
「浅い」って何だろ?
其れは物理的なモノ?
其れは心理的なモノ?
「深い」モノになれば自分は如何なるの?
「深い」モノになれば少女は如何なるの?
神狐一人に巫女は一人でも二人でも構わないの?
抑、巫女として
「深く」なるとは如何いう事なのだろう
「狐の癖に人間の女と恋に堕ちるなんて、あは」
彼の言葉が頭を過ぎる
白狐は「深い」モノになる事を望んでいるのだろうか
自分に課せられた巫女としての役割は
彼に囚われた少女の元へ白狐を案内する事、唯其れだけだ
「浅い」で充分
「深い」必要はない
「お前は俺の巫女だ」
精一杯、此の言葉に応えよう
自分は愛でられない
自分は愛でたくても愛でられない
そんな思いはもう沢山だ
「若し」
別の疑問を口にする
「若し、其の姿が他の人に見えたら」
其処で切る、彼女の言葉を引き継ぐ形で白狐が続けた
「巫女(ひばり)が近くにいる」
見据える翡翠色の眼差しを受けて
顎を引く彼女が食膳に乗った果物皿を手に取り差し出す
「御一つ、どうぞ」
幸い林檎兎は二羽、いる
半分こに出来るモノならいい
半分こに出来ないモノなら如何すればいい?