狐鬼 第一章
「生憎、大部屋に空きがなく」
「個室を御用意させて頂きましたが、大丈夫かい?」
開口一番
病室を訪れた主治医は母親に挨拶がてら話し出すも
最後、彼女に気遣う言葉を掛けたのは
矢張り此れから説明する事が異例だからだろう
頷く彼女は先程のように
気兼ねなく?白狐と会話が出来るのなら幸いだ
微笑む、ラウンド型の黒縁眼鏡の片端を摘まみ上げる
主治医の話しでは何でも町外れにある、稲荷神社の鳥居の前で倒れていた
彼女を早朝、発見した近所の御老人が救急に通報したらしい
「神社?」
流石、個室の寝台だ
可動式の背凭れを丁度良い角度に設定した
上半身を起こした彼女が聞き返す
「俺が戻れる場所は社しかない」
あの場所に留まる理由もなく
取り合えず意識を失った彼女を抱き抱え社に帰った
と、窓辺の白狐が答える
白い着流しの背中を見詰めながら頷く彼女に主治医が続けた
「唯、大層な怪我だよね」
事と場合によっては警察の御厄介になるかも知れない
主治医の言い淀む口調に彼女も口籠る
「、転びました」
他に適当な嘘が吐けそうにない
「、運動神経、皆無なんですみません」
最後の「すみません」は嘘、吐いて「すみません」て事だ
決して運動音痴の自分を卑下した訳ではない
ないが、其の言葉に深く頷いて同意する母親の姿も
一瞬、肩を竦めた様子の白狐の姿にも「深い意味はない」と言い聞かせる
喩え、自身が力走する姿が「もも神」と親友に揶揄されようとも
「、すみません」
何とか謝罪をし続けて
何とか有耶無耶に出来ないかと思う
何故、あの時間に
何故、あの場所に
何をしていた、と問われたら答えようがない
母親に視線を泳がす主治医の背面
神妙な表情で控えていた女子青年の看護師が声を上げる
「やったんですよね?!」
「え?」
思わず聞き返す彼女を余所に主治医が慌てて止めに入る
「君、君!」
だが興奮状態の看護師は止まらない
「先生だって知ってるでしょう?!、あの神社の噂を!」
何処と無く芝居がかった口調に
益益、目が点になる彼女に看護師が身を乗り出し続ける
「で、やったんですよね?!」
其の、好奇心剥き出しの爛爛の眼差しに当たったのか
彼女は軽い眩暈を覚えた
何の事だろう
「祭り」の事を言っているにしては
「やった」と、いう言い回しは違う気がする
此れは助け舟なのか
其れとも泥船なのか、何方にしても乗る気にはなれない
窓際の白狐を盗み見るも
何処吹く風とばかりに唯唯、其の背中を向けたままだ
「丑の刻参り」
「!!君!!」
第一印象、柔和な主治医の叱咤に
看護師は怯むように背中を丸めるも一向に省みない
「だって!」
「だって先生!」
「患者さんは着物姿で、あの神社に倒れてたんですよ!」
飽く迄も自身の展開を必死で訴える看護師に主治医が頭を垂れる
「お願いだから止めなさい」
「君が穏秘学好きなのは知っているが、余りにも失礼だろう!」
「あ、」
主治医の言葉に寝台を挟んだ、向こう側
母親と目が合った瞬間
「申し訳ありません!」
低頭平身に謝罪する看護師に「いえいえ」と、返した
母親が「へえ、丑の刻参り?、へえへえ」等と、暢気に笑っていたが
記憶に無い出来事に彼女の内心は穏やかではない
「着、物?」
彼女の言葉に反応した母親が
寝台横の小棚に畳み置いていた白装束を取り上げる
「此れ、着てたみたいよ」
「貴女」
「着物、持ってたの?」
持っている訳がない
差し出された白装束に手を伸ばす
其れに
此れは如何見ても
「ひばりのだ」
白狐の声に伸ばした手を引っ込める
目の前の、白装束を見詰めたまま彼女は静かに質す
「如何いう事?」
彼女の言葉に其の場にいる誰もが「耳垂れ印」を頭上に浮かべた
「如何いう事って、お母さんが聞きたいわよ?」
笑い声を上げる母親に釣られて主治医、看護師も哄笑する
「血塗れの服を脱がせ、血塗れの身体を拭いた」
「そして、ひばりの着物を着せた迄だ」
笑いの渦に包まれる、病室
彼女の混乱等、考慮せず答える白狐の声は聞こえようもない
其れでも白狐に顔を向ける彼女が消え入りそうな声で呟く
「想像したくない、です」
相も変わらず背中を向けたままの白狐が無情にも吐き捨てる
「想像しなくていい」
「そ゛ん゛な゛…」
顔から火が出る思いで項垂れる
彼女に笑いの渦から抜けた看護師が懲りもせず訊ねた
「狐様のお怒りを買ったんですよね?」
「え?!」
白狐の存在を匂わせる看護師の言葉に
若干、身構える彼女の様子に主治医が間に割り込む
「君、好い加減にしなさい」
思いの外、母親の反応が良かった事に鼻息が荒くなったのか
看護師は唇を尖らせて胸を仰け反る
「先生だって知りたい癖に!」
「君だけですよ」
其の主治医と看護師の遣り取りを彼女が遮る
「狐、狐様って?!」
若しかして看護師は信者、って事?!
若しかして白狐の存在を知っている、って事?!
食い付いた?、彼女の様子に
看護師は勝ち誇った顔で主治医に目配せする
其の視線を受けて
主治医は嘆息を漏らすと同時に手の平を差し出し促した