狐鬼 第一章
到頭、限界が来たのか
寄り掛かる上座の壁が徐徐に後方に傾いていく
此のままでは共倒れだ
理解していても
身体が動かない事を理由に為すがままに委ねる
気が付いた白狐が手を掴もうとするが
咄嗟に「彼女は負傷している」事を思い出し、其の背中に腕を回す
お蔭で彼女と白狐の距離は目と鼻の先だ
翡翠色の眼と目が搗ち合う彼女が
思わず顔を背け、吐き捨てる
「如何して助けるんですか?」
今だけじゃない
一度目も二度目も彼の言う通り、理由が分からない
「眼の前で死なれたら困る」
味も素っ気もない返答だ
其処には思い遣りも気遣いもない
唯唯、本心なのだろう
「ごめんなさい」
瞬間、背後の壁が音を立てて崩れた
痛みに顔を歪め、上体を起こそうとする彼女を介助する白狐が続ける
「みや狐だ」
突然の自己紹介に彼女は向けた目を丸くした
意味が分からず、其の能面のような顔を見詰めるが白狐には意味がある
仮初の巫女では駄目だ
仮初の巫女では繋ぎ止められない
「すずめ、です」
取り合えず、此方も自己紹介する
そして、訪れる沈黙
其の沈黙に耐え切れなくなった彼女が項垂れ、零す
「ごめんなさい」
「何故、謝る?」
「だって怒ってるでしょう?」
「何故、怒る?」
勝手な真似をした
馬鹿な真似をした
役立たずの自分は少女も救えず
結局、白狐の足を引っ張っただけだった
其れ等を馬鹿正直に告解する気にはなれない
故に彼女は誤魔化そうとした
「何故でしょう?」
「俺が聞いてる」
「…ですよね」
其のまま言葉を失くす彼女に白狐が言う
「何方道、死んでいた」
「俺も巫女も」
すずめが現れた事で仕切り直しが出来るというものだ
感謝こそすれ憤る事等無い
「流石、俺の巫女だ」
其れこそ無邪気に笑う白狐に一瞬、惚けるも
嫌な予感がした彼女は直ぐ様、否定した
「巫女じゃ、ないです」
「否(いや)、巫女だ」
「いえいえ」
「道案内は済んだ筈ですし」
「三眼は去った」
「え?」
「去った故、追わねばならない」
一転、不敵な笑みを向ける白狐に彼女は其の首を左右に振った
もういい
もう皆まで言わなくていい
徐に頭を抱え込む彼女に「痛むのか?」と気遣う
白狐の腕が血塗れな事に漸く、気付く
尚も鮮血が流れる
其の腕を見止め、彼女は羽織る半袖パーカーを脱ぐ
だが、肋骨が痛くて思うように脱げない
苦悶の表情で四苦八苦する彼女を見兼ねて
白狐が無傷の方の、手を貸す
パーカーの、厚みのある生地は巻き辛いが
如何にか斯うにか白狐の血だらけの腕に巻き付ける
だが、肋骨が痛くて案の定、上手く巻けない
「何がしたいんだ、すずめ」
困り顔で聞く白狐に彼女が慌てて答える
「え、えと」
「止血っぽい事をした方が… あ、駄目」
「すずめ?」
仰け反る彼女の身体を不思議そうに眺めながら
白狐が其の肩を支えた
「何が?」
「何が駄目なんだ?」
覗き込む白狐に
顔面蒼白の彼女が無理に微笑む
「私、血が苦手… だった」
そうして貧血を起こした様子の彼女が白目を剥く
遠のく意識の中で白狐の声が耳元で響く
「しっかりしろ」
「お前は俺の巫女なんだぞ、おい」
「すずめ」
「俺の巫女」其の言葉が
彼女には「生きろ」と言っているように聞こえた
「私が生きる理由が出来た」そう思えた