狐鬼 第一章
12
此の隙に果たして
逃げ切れるのかは分からない
だが、何モノの気配すら感じなくなった
今、遣らなけらば何時遣るのか?
彼女は恐る恐る、足音を潜めつつ壁の表側に回る
案の定、少女一人残して誰も彼も「狐狩り」に出張ったらしい
当然だ、自分達以外
他の誰かの存在等、疑う必要もない
座敷に駆け上がる彼女が素早く少女の腕を取り、自分の肩へと掛ける
其の脇腹を抱え上げ、立たせた
「立って!、そして歩く!」
耳元で活を入れる
彼女の声に少女は足を引き摺りながらも辛うじて歩き出す
人形だろうが
操り人形だろうが、少女は巫女だ
「其の調子!」
巫女がいる場所は此処じゃない
巫女がいる場所はあの神聖な舞台の上で白狐の傍らだ
ぎこちなく、其れでも前へ前へと歩を進める少女が
何とか顔を傾け、彼女の横顔を覗き込む
「あり、が、」
彼の言う、隙魔とやらの存在が薄れてきたのか
微かに光が宿る、少女の目を見詰め頷く彼女の頭上に
あの、嗄れた高い声が響く
「 離れ屋の娘 」
「 此処で 」
「 此処で何をしている? 」
覆い被さるように広がる黒煙を見上げ、彼女は息を呑む
如何やら「狐狩り」に出張ったのは片割れだけで
もう一方の片割れは少女を見張っていたようだ
白狐の言う通り
黒煙の塊が一つなのか、二つなのか全く分からない
「嫌、来ないで!」
大袈裟に声を上げる彼女が少女の身体を畳の上に放り出す
黒煙の標的は自分だ
そう理解した彼女は出来るだけ少女の側を離れようとする
逃げ切れなくとも、其の身を隠す事は出来るかも知れない
「 娘 待て 」
背後で嗄れた高い声がしたのも束の間
造作無く、目の前に立ち塞がる黒煙に彼女は儘ならない
丸で蛇に睨まれた、蛙だ
実際は頭も尻尾もない、巨大な蚯蚓擬きだが
徐徐に色濃く、実体化していく黒煙が彼女の身体を巻き上げる
息が、出来ない
思うと同時に全身の力が抜けていく
宙に浮く、彼女の足が大きく左右に振られた瞬間
其の身体は畳の上に叩き付けられる
為す術も無く、彼女の肋骨が悲鳴上げた
舞い上がる土埃の中
倒れ伏す彼女が苦痛に顔を歪める
「 何処から 」
「 何処から喰らってやろうか 」
「 離れ屋の娘め 」
彼女目掛け、身を屈める黒煙
頭頂部分が窪む、其の奥には何層にも重なる牙が連なる
宛ら、鮫の歯だ
薄っすら開く視界で捉えた其れを見て
彼女は何とか立ち上がろうとするも痛みに力が入らない
あばら、折れた?
尚も必死に畳に手を突く、其の手に触れる温もりがあった
「化け、モノが」
耳元で響く声は確かに、少女の声だ
少女は彼女の危機に其の身を引き摺り、這って来たのだ
辿り着き、彼女の手に手を重ねる
少女には巫女としての、直感があった
彼女の身体を庇うように被さる少女が黒煙目掛け、吐き捨てる
「逝(い)ね」