狐鬼 第一章
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石階の下に到着した頃、日はとっぷりと暮れていた
其れでも電柱に掛かる街区表示板に目を凝らし、確認する
「ごめんなさい」
狐火を掲げる
白狐に謝罪する彼女は安堵の溜息を零す
何故か長い道程だった
何故か屋敷に辿り着けずにいた
後一歩、其の手前で全く見覚えのない道に案内される
そうだ、否応無しに案内されるのだ
彼にとって彼女は招かれざる客
巫女にとって白狐は招かれざる客
お互い招かれざる客同士、此の結果は当然なのかも知れない
役立たずの、不甲斐なさに項垂れる彼女は
傍らに控える白狐を盗み見る
獣化の、其の姿は熊並みに大きい
豊かな鬣が彼を意識したのか、忌忌しく逆立つ
「一昨日は辿り着けたのに、如何して?」
招かれた客でも
招かれざる客でもなかった筈だ
自分が此の片田舎を訪れる事自体、彼には寝耳に水だ
そうして此処に至る経緯を聞いた白狐が呟く
「条件があるのかもな」
「条件?」
聞き返す彼女は
其れは招待状的なモノなのか、と思い至る
「地図!」
「ちず?」
今度は白狐が聞き返し「何だ、其れは?」
と、尋ねる前に洋服のポケットを漁る彼女ががっくりと肩を落とす
見事に外れだ
当たりは如何やら、肩掛け鞄の方だったようだ
だが、残念な事に昨夜、白狐に助けられた際
引き寄せられた彼女から一歩、出遅れた肩掛け鞄は
額の第三眼の閃光弾を避ける事が出来ず、消滅した
思えば、寸での所で九死に一生を得た訳だが
貴重品の諸諸を失った衝撃は大きい
「彼に、貰ったんです」
「屋敷の住所が書き記されていた、地図」
其れを大事に財布の中に仕舞った
「其れか」
合点がいった白狐に彼女も頷く
「地図があったから」
「地図があったから彼の屋敷に辿り着けたんだ、私」
大事な事は二度、言う
肩掛け鞄の悲惨な最期と共に、其の地図を失った事を話し
頭を抱える彼女に白狐が助言する
「案ずるな」
向けられた翡翠色の眼を見詰めるも
慰め等、無意味だと言いたげに彼女は唇を噛む
「今の、あんたは俺の巫女だ」
「願えば叶わない事等、何一つない」
「願う?」
自分の、命懸けの「願い事」は叶えてくれなかった癖に良く言う
「願え」
「三眼の元に行きたい、と」
励ましているのか
将又、脅しているのか、白狐の言葉に彼女は眉を寄せる
其れって、私が無意識に屋敷を避けているって事?
そう、白狐に質したかったが
平然と肯定されそうだったので諦めた
自分自身、未だ未だ覚悟が足りない気はしていた
其の白狐の言葉通り
漸くして二人は石階の下に無事、到着したのだ
狐火越しに仰ぐ、石階の先
外灯無く月明かりを遮る木木に覆われた闇の先は
入口は何処なのだろう
闇の先の、闇の入口は何処にあるのだろう
彼の心の中も、こんな漆黒の闇なのだろうか
思う彼女が一歩、石階に足を乗せた
「此処迄だ」
無骨な腰で押し退け、石階に前足を踏み出す
白狐が蹌踉ける彼女を幾つにもに分かれ伸びる尻尾で支える
「えっ?」
聞き返す彼女の身体を
其の尻尾を自由自在に扱う白狐が軽く、突き放す
二、三歩後退り、其のまま尻餅を付く
膝を立てる、彼女の足が震えていた
如何見えも此の石階を上るのは無理そうだ
と、白狐が透鏡のような眼を細める
「案内、ご苦労」
言う也、漆黒の頭上を振り仰ぐ
白狐が其の背中を丸めた次の瞬間、神業的跳躍で跳ね上がる
残響が大気を切り裂く
一人、残された彼女は白狐を呑み込んだ森を見上げ、答えた
「如何致しまして」