狐鬼 第一章
どれ程、泣いたのだろう
どれ程、泣けばいいのだろう
泣けば泣く程、何かが癒える訳でもないのに
涙が止まらないのは何故だろう
空高く、登っていた太陽は今や森の影に沈もうとしていた
膝を抱え、埋める毛布から顔を上げる
彼女が額に張り付いた前髪を掻く
盆地特有の、此の土地の暑さなのか
洗面器の中の氷も何時の間にかすっかり溶け、なくなっている
そうして外縁でいやに良い姿勢で胡坐を掻いている
白狐の背中に向けて声を掛けた
「えと、ごめんなさい」
「もう、平気です」
此れ以上、泣いていても仕方ない
彼女の言葉にすっくと立ち上がる、白狐の足が敷居を跨ぐ
俯く彼女は其の透けるような白さに見惚れるも
改めて、礼を述べようと毛布を退けて
敷布団の上からで失礼だとは思うが正座をしようとした、膝元
取っ散らかる白毛が視界に入った
目を丸くする彼女が
手元の毛布を捲れば寝床は白毛だらけだった
「え、え?!」
不思議がる彼女に白狐が慌てて答える
「中中、放してくれなかったから」
自分の着流しの衿を示すように掴み上げた
小さく顎を引く彼女の脳裏に力強く掴んでいた記憶が蘇る
生憎、自分が思い出せるのは其処迄だ
何とはなしに集めた白毛を眺め
と、言う事は服に見えるのは白狐の地毛なのか、と思い至り
結構な量の白毛にぞっとする
自分が毟ったのなら相当、痛かったのではないか?!
「色色、ごめんなさい」
敷布団の上で深く、頭を下げる
彼女を横目に白狐が独り言のように吐き捨てる
「謝ってばかりだな」
「、え?」
此方の都合を押し付けるのが申し訳なくなる
聞き返すも白狐は何も答えずに彼女の傍らに腰を下ろす
翡翠色の眼を伏せ、少し開いた唇から白い牙が覗く
身を屈めた瞬間、腰迄伸びた白髪が流れた
身を起こす彼女が、其の姿に確認するように尋ねる
「神狐、様ですよね?」
「ああ」
そして、聞き難い事はさり気無く聞くのが得策だ
「あの時」
「私じゃなくて、たかに向かって来てたんですね」
彼女の言葉に
白狐も祭りでの出来事を思い出したのか、不快に咽喉を鳴らす
「俺の巫女に無礼な真似をするからだ」
なのに、ひばりは我慢しろ、と
我慢した結果、此の失態では笑えない
唇を歪め、白い牙を剥く白狐に彼女は少し居心地が悪い
自分は気付けなかった
彼の一番、近くにいたであろう自分は
白狐の言う「無礼な真似」に微塵も気付けなかった
何が如何なったのか
たかが如何なったのか、意味が分からない
全てが悪夢にしか思えない
言った切り、押し黙る白狐の顔は青磁のように青白い
自分には掛ける言葉がない
手持ち無沙汰で目の前に積まれた手拭いの山を見遣る
お互い、此れから如何すればいいのだろう
掴み取り、手拭いを畳み始める
忘れればいい
忘れられればいい
忘れられるか如何か、分からない
上の空で畳んだ手拭いは、ヘムの角が合っていない
広げて再度、畳み直す
でも、忘れるしかないんだ