狐鬼 第一章
欄間障子に隠れる程、持ち上げられた母親の肢体
腹部から溢れ出た臓腑が垂れ下がり、鮮血が影の如く畳を濡らす
少女には其れが着物の帯のように見えた
巨大な体躯を窮屈そうに屈める
禿げた頭部には禍禍しい程、歪な角が一本
瞼すらない、血走る眼
頬に迄、裂けた唇
其の唇が少女の姿を見留めるや否や
哂うように開いた瞬間、血塗れの牙が剥き出しになる
目を見張る少女が
仰け反り蹌踉けながら足元に座り込む瞬間
其の肩を抱き抱える腕があった
「お早う」
「随分とお寝坊さんなんだね」
場違いな、ゆったりとした穏やかな声に思わず顔を向ける
何処迄も優しく、微笑む少年
額の眼球がぎょろぎょろ蠢き軈て、少女を見下ろす
「急いで、狐を呼ばないと」
そうして目の前の惨劇に一瞥を呉れると
心底、残念そうに零す
「ああ、もう手遅れだね」
目を伏せる少年の眉間に皺が寄る
「如何して、そんなに暢気なのかな?」
人間の皮を被っている以上、仕方ない事なのか
狐にしても
巫女にしても鈍感過ぎる
「僕は教えてあげたよ」
「なのに、君は何の手立ても講じなかった」
不意に恐ろしい程、其の唇を吊り上げて笑う
「其れは、自分以外は如何なっても良いって事だよね?」
見開く少女の目から涙が溢れる
震える肩を抱く、少年の手が頬を撫で受け止める
「君は僕のモノ」
少年の指が少女の顔に張り付く、黒紅色の髪を除けていく
「勿論」
「君の狐も僕のモノ」
そう呟く少年が
黒目勝ちの目を細めれば額の眼も同様、細くなる
「嬉しいよ」
感極まり、自分の身体を聢と抱き締める少年を余所に
少女は震えが止まらない
目の当たりにした、恐怖ではない
目の当たりにした、怒りだ
無残な最期を迎えた母親
唯一の肉親を失った事への激しい怒りに身体が震えるのだ
途切れそうになる
少女の意識を支配している
軈て、全てを見透かしたような少年の言葉が耳元で囁く
「さて、如何しようか?」
問われた、少女がすっと前方の鬼を指指す
尚も雑に揺れる母親の肢体を見詰めたまま、言い捨てる
「奴を」
額の第三眼が陽気な笑声を上げた
其の眼が閃光した瞬間、漆黒の筋が鬼目掛け突っ込んで行く
其れはいとも容易く鬼の体躯を真っ二つにすると
止(とど)まる事無く屋敷の壁を突き破り、先の森の木木をも切り裂いた