狐鬼 第一章
河川沿いの遊歩道
桜並木から河川に向かう階段を下れば、小さな公園がある
遊具等はないが
木製の長椅子が散歩中の休憩には持って来いの場所だ
夏の終わりを告げているのか
秋の始めりを告げているのか
夜の公園に響くのは虫の鳴き声のみだ
ひく先輩は木製の長椅子に腰掛けて大分、経つ
何処か所在無げだ
突然、呼び出された此の公園
部活帰り、幾度と無く過ごした場所だ
そうして多分、二度と訪れる事のない場所だ
申し訳程度の外灯の下
携帯電話の待ち受け画面に目を落とす
流石に遅い
痴漢程度なら撃退出来そうな気もするが
相手が通り魔では洒落にならない
「迎えに行くか」
と、立ち上がり掛けた瞬間、直ぐ背後で息遣いがした
背筋が震える程の寒気を感じ、咄嗟に振り返る
其処には、ちどりがいた
「ごめん、待ち草臥れた?」
立ち上がった行為を
帰り支度だと勘違いしたのだろうか
そう言う、ちどりに
ひく先輩が首を振りながら固く笑う
「遅いから、心配しただけ」
頷き、微かに笑う
ちどりの頭髪は濡れているのか
頬を伝い、落ちた雫を見遣る
ひく先輩はずぶ濡れの、ブラウスの肩に触れた
「ち、どり?」
不意に、ひく先輩に抱き付く
ちどりが其の胸元へと顔を埋めて答える
「もう一度、先輩に会いたかったの」
「此の公園で、最後にね」
彼女の言葉に何ら棘等、ない
其れでも、ひく先輩は罪悪感に顔を逸らす
以前なら迷う事無く、抱き締める事も出来ただろうに
「俺こそ、悪い」
「俺、自分でも酷い奴だと思ってるよ」
ひく先輩の言葉に静かに、ちどりが聞き返す
「心変わりした事?」
「其れとも…、初めから好きじゃなかった事?」
何もかも見透かしているような
彼女の言葉に、ひく先輩が思わず息を呑む
何も言い返せない彼を見上げる、ちどりが小悪魔的な微笑を浮かべる
「でも、如何する?」
「すずめ、彼氏がいたね?」
忘れ掛けていた翡翠色の眼が一瞬、ひく先輩を射抜く
其の、彼の躊躇する様子に、ちどりがそやす
「奪う気、ないの?」
「如何して?」
「先輩は格好良いんだから、きっと上手くいくよ」
彼女の、熱っぽい視線を感じる
其れでも、ひく先輩は顔を逸らしたまま力無く頭を振った
「そんな事はないよ」
強く自分の腰元に抱き付く、ちどりの腕に戸惑いながらも続ける
「其れに違う気がするんだ」
「違う?」
「俺じゃなくても」
もう一度、頭を振る
余りにも馬鹿馬鹿しい言葉を否定しようにも結局、言わずには置けない
「どんな奴も彼奴には敵わない気がする」
自惚れじゃない
制服姿の男子生徒と交わした一瞬の視線に、そう感じた
途端、空笑う
「緑色のカラーコンタクト、してるんだぜ?」
「どんだけ自意識過剰だよ?」
可笑しくもないが笑い続ける、ひく先輩の耳に届く
「所詮、先輩も人間だから」
其れは空耳だったのかも知れない
ちどりの声のようで
ちどりの声ではないような気がしたからだ
「ちどり?」
漸く、顔を向けて覗き込む
彼女の微笑みが左右に揺れるのは気のせいだろうか
思わず目を閉じる
数回、瞬きして気が付けば彼女の顔が近い
「先輩、私、力になるわ」
「先輩が好きだから」
今も
今も、ね
爪先立ちした、ちどりの手が頬に触れる
異様な程、冷えた指に彼は身を退きそうになるも何故か、動けない
喩えは悪いが
丸で蛇に睨まれた蛙のように身動き一つ、出来なかった
「だから、最後のキスをしよう」
彼女の唇も同様、凍り付く程に冷たい