狐鬼 第一章
遠く、夕日が空を茜色に染める
近く、森の影を眺める彼は内縁と八畳間を仕切る障子の桟に寄り掛かる
立膝に腕を置く其の横顔に見惚れ自分は唯唯、溜息が出る
今なら分かる
「美しい花は手折る事無く、皆で愛でよ」
全く以て今なら分かる
美しい花を自分のモノにしようと手折れば花は枯れてしまう
なら友達のままでいたい
なら友達のままでいさせて欲しい
瞬間、振り返る彼の黒目勝ちの目と合い思わず肩が跳ね上がる
「遊びに来てくれて有難う、凄く嬉しいよ」
低い、ゆったりとした声が耳に心地良い
私は真っ赤だろう頬を隠す為に俯き、頭を振った
「私こそ突然ごめんね、でもね、私もたかに会えて良かった」
本当に良かった
本当に会いに来て良かった
一人、納得した私は身体に掛けていた毛布を畳み始める
田舎町は場周も電車も本数が少ないし、最終時間も早い
彼が言っていた通り近場に民宿も民泊もなさそうだ
「そろそろ帰るね」
「帰るの?」
「え?」
想定内と言えば想定内
想定外と言えば想定外
ある程度、予想していたとはいえ
余りにも自然に宿泊を促す彼の言葉に目を丸くする自分に
何か誤解が生じたかも知れないと気付いた彼が其の視線を泳がせる
「ごめん、てっきり泊まるんだと思って」
泳がせた結果
内縁に置いてある、私の旅行用鞄を見遣る
「あ!」
声を上げる自分に彼が改めて尋ねる
「泊まり、だよね?」
「其れとも街の方に宿を取ってるの?」
実は今回の事は両親には内緒だ
何故なら、ちどりの家に泊まりに行くと言ってあるから
だから、未成年の自分が宿泊する条件「同意書」を持参していない
同様にネット喫茶も二十四時間営業の飲食店も無理だ
本当に行き当たりばったりの、杜撰な計画だ
彼がいてくれて良かった
彼がいてくれなかったらと思うとゾッとする
彼同様、自分も旅行用鞄に視線を注ぐ
旅行用鞄は賭けだ
「遊びにおいで」と言った彼
「歓迎するよ」と言った彼の、其の気持ちを確かめる為の賭けだ
意を決して彼に聞く
「迷惑じゃあ、ない?」
自分なら迷惑此の上ない、と
畳んだ毛布のヘムを指で弄びながら反省する
「全然、此の家には僕しかいないから」
思わず彼を見遣る自分の顔に出てしまったのかも知れない
ご両親は?
出てしまったから彼は開いた掃き出し窓から
素足のまま、軽やかに外に飛び出してしまったのかも知れない
答えたくない、という意思表示の為に
「気持ち良いよー、すずめー」
芝生を踏む彼がやんちゃそうな笑顔で声を張り上げる
寄り掛かる窓枠を額縁に
窓硝子に架かる中庭の木木を背景に
其処だけ、彼だけ、全てが止まっている感覚
止まった時間の中で彼は
何時迄経っても何処迄行っても一人ぼっちなのだろうか
そんな気がした
夕焼け空と夕闇空の境目
彼の肩越しに今夜の満月が薄っすらと白く、見える
彼も見ているのだろうか
燥ぐのも止め、佇んだままの彼が思い出したように話し出す
「そうだった」
「今夜、祭りがあったんだ」
「行こうか、すずめ」
「祭り?」
寝床を後に内縁に立つ自分を振り仰ぐ、彼が頷く
「いいね、楽しみ」
「僕もだよ」
笑い声を上げる彼が其の手の平を自分に差し出す
「で、降りる気になった?」
私は大の虫嫌いだ
其れでも曖昧に頷いた瞬間、腕を掴まれ一気に窓外に引っ張り出された