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ヒロミと過ごした夏休み

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「ワタシの家ね、東京のM市っていうところにあるの。小三の時に両親が離婚して、それから、お母さんと暮らしていたんだけど、五年になったばかりの時、お母さんが再婚して、今の男と暮らしだしたの……。その男にも小二の娘がいて、何かあるとワタシがお姉ちゃんなんだからちゃんとしろとうるさいの、オマエは本当にだらしない子だと言って殴るし、お母さんにも、お前の躾が悪いからだと言って暴力を振るうし……。そして、おまけにワタシのお父さんの悪口まで言うのね、だから、ワタシはそいつが許せなくて、親の金盗んで、おじいちゃん、おばあちゃんがいるこの町に家出してきたの」
 ここまで話すと、ヒロミは大きく肩で息をした。
「けんど、家出言うたち、すぐばれるろう?」
「おじいちゃん、おばあちゃんにそのことを話したら、お母さんに電話をしてくれて、しばらくここにいてもいいことになったの。だけどワタシ、もう家には帰らない」
 ヒロミは、夜空を見上げながら、決意を固めるように言った。
 いつのまにか踊りは終り、やぐらを片付けた後に、にわか作りの土俵ができ、ちびっこ相撲が始まっていた。
 ヒロミの口から、思わぬ事実を聞かされて、ヒロミのことが、また少し大人びて見えた。
「ワタシもコウジも一人ぼっちだから、ワタシ達これからもずっと友達でいようね」
 ヒロミが重くなった空気をかき消すかのように、笑って言った。そして、右手を差し出し、握手を求めた。恥ずかしがっているコウジの手を、ヒロミが強引に握った。


 盆が過ぎると、秋の気配が濃くなる。
 川で泳ぐ小中学生達の姿もほとんど見えなくなった。
 それでもヒロミとコウジは、朝早くから日が暮れるまで、毎日二人でエビを突き続けた。
 エビ付き以外にも、川原でキャッチボールをしたり、川沿いの畑に植えてあるスイカを盗んで食べたり、川の水面に丸い平らな石を投げる水切りをして、何回跳ねるか競ったりもした。
「今から、あそこにいこう」
 夏休みも残り少なくなった日の夕方、ヒロミが神社を指差し、言った。
 もう太陽は近くの山に、半分姿を隠そうとしている。
 コウジはヒロミの後に従い、神社の境内に続く石段を上った。この神社の境内で、高校生や大人がデートすることを、コウジはうわさに聞き知っていた。
ヒロミは社に上がる階段に腰掛け、コウジに隣に座るよううながした。
 ヒロミはいつになく無口だった。
 境内の周りには、杉や檜等の常緑樹がうっそうと繁っている。 
 二人は薄暗くなった境内で、蜩の鳴き声をしばらく聞いていた。
 コウジは、何か話そうと思うが、焦れば焦るほど、何を話していいかわからなくなった。
「もう、夏休みも終わりね」
 ヒロミの左手が、コウジの右手をそっと握りしめた。コウジはドキッとして、ヒロミを見た。ヒロミは神妙な顔をして、まっすぐ前を見ている。
「ワタシ、コウジに会えて良かった。本当に……」
 いつもと違うヒロミの感じに、コウジの胸が高鳴る。
「ワタシのこと、どう思った?」
 ヒロミが、はじめてコウジの方を向き、言った。
「どうって?」
 コウジはわけがわからず、足元を見つめている。
「ワタシのこと、キライ?」
 コウジをまっすぐ見て、ヒロミが言う。
「べつに、キライじゃないけんど……」
 コウジはさっきから、喉がカラカラに乾き、心臓がドックンドックンと高鳴り、息苦しさを感じていた。
「じゃあ、スキ?」
 恥じらいのある少女の顔をヒロミが見せた。
「……」
「ねェ、どうなの?」
 この時コウジは、自分がヒロミのことを好きなのかも知れないと思った。
「スキかも……」
 コウジは真赤になった。
「ワタシ、コウジのことがスキよ」
 ヒロミは優しい目で、コウジを見つめている。そして突然、ヒロミがコウジの手を自分の胸に押し当てた。コウジは思わず「あっ」と叫びそうになった。少し膨らんだヒロミの胸の感触に、甘くしびれるような感じがし、頭がくらくらした。ヒロミは目をつぶり、何か小さな声でつぶやいている。しかしその声はコウジには聞こえなかった。
「コウジのこと、ずっと忘れないから」
 ヒロミはそう言うと、暗くなった境内から一目散に走り去った。ヒロミの胸の感触の残る手のひらを、しばらくコウジはただぼうっと見つめていた。


 夏休みも終わり、ヒロミとはそれきり会うことがなかった。
 ある晩の食卓で、両親の次のような会話を耳にした。
「隣町の中山さんちの孫、行方不明になっちょうらしいにゃ」
「そうらしい、中山さん弱っちょうゆうたろう」
「どこへ行ったがやろうにゃ」
「うわさでは、娘さんの再婚相手とうまくいきよらんかったみたいで、その孫んしばらく中山さんちに帰っちょったらしいがやけんど、裏山へ行くゆうて、そのままおらんなったらしい。昔やったら神隠しにおうたゆうて、なんぼか騒いだろうにね」
「神隠しって何?」
 両親の話を聞いていた姉が言った。
「昔子どもが行方不明になったら、天狗や山男にさらわれたゆうて、地区総出で山に探しに行ったらしいがよ。相当昔の話で、最近はもうそんなこと言わんなったけんどね」
 と母が言った。
 両親の話を聞きながら、話の少女がヒロミではないかとコウジは思った。
「その女の子のおじいさんって、エビ突きの名人?」
 コウジが不安そうに聞くと、
「そうそう、この辺ではエビを突かしたら中山のじいさんの右に出るもんはおらんろう」 
 と父が言った。コウジは全身が凍りつくように感じた。


 二学期以後無視していた友達たちも、少しずつコウジと遊ぶようになり、タツヤとの関係も元通りになった。
 学校での平穏な生活が戻っても、コウジにはヒロミと過ごした夏休みの事が、眠る前などに、ふと思い出された。特に行方不明だと知ってからは、気になり、何回か夢にも見た。夢に出てくるヒロミは、いつも泣いていた。
 五年になると、ソフトボール部に入り、毎日遅くまで練習をするようになった。ソフトボールが大好きで、五年生からソフトボール部に入ることができるため、それを心待ちにしていたのである。
 夢中でソフトボールをしていると、あっという間に時が過ぎ、また夏休みになった。夏休み中も、毎日午前中はソフトボールの練習があった。 
 コウジは、去年の夏休みのように、隣町の川に行き、エビ付きをしようと、ずっと心に決めていた。ヒロミが川に来ているような気がしたからだ。
 一年ぶりに来た川は、深い緑の山に挟まれ、真上に灼熱の太陽が輝き、川面に映る陽の光が、ユラユラと揺れている。
 十字架のある川岸に来て、勢いよく飛び込んだ。ヒヤッとした感触が気持ち良かった。
 コウジは、エビ突きを始めるといつも夢中になる。やっぱりエビ突きは面白い。水中に潜った時の静けさが好きだった。
 エビを突いているうち、去年ヒロミと探した大きな手長エビのことを思い出し、今度こそ突いてやろうと思った。しかし結局大きな手長エビには遭遇しなかった。
作品名:ヒロミと過ごした夏休み 作家名:忍冬