北へふたり旅 81~85話
北へふたり旅(83) 札幌へ⑧
イヨマンテはこのように準備される。冬の終わり。
アイヌの集落で、穴で冬眠しているヒグマを狩る猟が行われる。
穴に仔熊がいた場合、母熊は殺して毛皮や肉を収穫するが、仔熊は殺さない。
集落に連れて帰る。
仔熊は人間の子供と同じように家の中で、乳児がいる女性が我が子同様に
母乳を与え、かわいがられ育てられる。
かつては集落の子供たちと仔熊が、相撲をとって遊んだこともあったという。
仔熊が成長すると、屋外に丸太で組んだ檻を作り、そこに移す。
上等の食事を与えやはり大切に育てていく。
1、2年ほど育てた後、集落をあげて熊おくりの儀礼が行われる。
イオマンテは1年前からはじまる。
神々の世界へ帰る仔熊のため、様々な土産が用意される。
祭壇が飾られる。神への祈りの後、仔熊が檻から出される。
唄や踊りが捧げられる。
仔熊に最後の御馳走が捧げられた後、人々は神の国に帰すときをむかえる。
あちらの世界に行ったら神々や親たちに、人間たちが如何に仔熊を
大切に育て、もてなしたかを伝えて欲しいと伝える。
また再び自分たちの元を訪ねてきて欲しいことを伝える。
その後、仔熊に矢がかけられる。
丸太で首を挟んで屠殺する。 仔熊の死体は祭壇に祭られる。
神の国へ帰る仔熊の霊に、様々な土産が捧げられる。
殺された仔熊は祈りを捧げられながら、厳密なルールに則って丁寧に
解体される。
肉は集落の人々にふるまわれる。
神の国へ帰る仔熊の霊に感謝し、様々な唄や踊りが捧げられる。
イヨマンテの儀式は数日続くこともある。
イオマンテによって送られた仔熊の霊は、 神々の世界に帰った後も
人間の集落で大切に育てられ、もてなされたことを忘れず、
再び肉と毛皮を土産に携えて人間の世界に戻ってきてくれると
信じられてきた。
熊おくりに似た儀式はアイヌだけでなく、狩猟を生業とする
マタギにも見られる。
山形県小国町では、マタギ達が獲物である熊の霊を送り、山の神に
感謝を捧げる「熊祭り」が毎年行われている。
「北に住むひとたちはアイヌをはじめ、狩猟系の民族がおおいようです」
「気候が厳し過ぎるからね。
いまでこそおいしい米が取れるが、ここではコメが長いこと育たなかった」
「そういえばお米はいったい、どこから来たの?」
「稲はもともと熱帯地方の植物。
日本にコメが伝わったのは、縄文時代の終わりころと言われている。
2500年前くらいからはじまった」
「2500年も前からですか・・・
明治からはじまった北海道とは、ずいぶん違いますねぇ」
「紀元後3世紀の頃。
卑弥呼(ひみこ)を女王とする倭国、邪馬台国(やまたいこく)が誕生し、
稲作栽培の農業社会が完成したと考えられている。
米を中心とする社会ができあがった。
米をつくる共同労働、農村共同体、水の管理から生まれた
結(ゆい)の共同体。
これらはいまの日本社会の基礎になっている。
米は日本人の心の支えになったが、同時に支配する力の象徴だった」
「コメを生み出す領地の奪い合い。
そんな時代が、日本で長い間つづいています。
コメを知らなかったアイヌはぎゃくに、幸せに生きた民族なのですね」
「北海道の広大な大地は、アイヌモシリ(アイヌの静かな大地)
と呼ばれてきた。
多くの和人が開墾のスキを入れたが、失敗におわった例もおおい。
うまく行った場合、そこにはたいていアイヌの協力があった。
アイヌの地の本格的な開拓は、1880~90年代にはいってからだ。
そこからアイヌの迫害と、同化政策がはじまる」
「あら・・・アイヌの乾いた大きな川、札幌が見えてきました。
長かったですねぇ。
旅路も。あなたのアイヌ民族に関する説明も」
なるほど。行く手に札幌のビルの街並みが見えてきた。
(84)へつづく
作品名:北へふたり旅 81~85話 作家名:落合順平