潜在するもの
必死になって堪えていたことに対し、自制が利かなくなると、もうどうしようもなくなることは、自分が苛められていた時のことを思い出せば分かってくる。
――そうだ、苛められていたのは自分にも非があったんだ――
と思えてきた。
確かに、何かハッキリとした苛められる原因があったわけではない。今でもなかったと言い切れる。だから、苛められていたのは、苛めている方にすべての責任があると思っていたが、果たしてそうだったのか?
確かに苛めている方にすべての責任を押し付けるのは違うような気がするが、理由もなく苛めることを正当化することもできない。そう考えてしまうと、いつまで経っても平行線で交わることはない。
最初の苛めとなったきっかけは、きっと苛められている本人も、苛めている本人にも分からないのではないだろうか。もしどちらかが分かっているのだとすれば、話は変わってくる。分かっている方は、一種の「確信犯」だからである。
遠藤は最初少年の発狂したかのような声に何が起こったのか分からなかった。そのうちに、奇声を挙げることに対し、気の毒な気持ちになった。
だが、そのうちに奇声を一定の間隔をあけてあげるようになると、今度は気の毒な気持ちが自分に対して向けられていることに気付いた。
そして少年に対して、いわれのない怒りがこみあげてくる。
――この少年は何も悪いことをしているわけではない。ただ奇声を挙げているだけなのだが、それなのに、この僕はそのせいで不快な気分にさせられる。誰にこの怒りをぶつければいいんだ?
というジレンマに陥ってしまった。
だが、結局は誰も悪くないのであれば、奇声を挙げている本人が悪いに決まっている。責められるべきは少年なのだ。
そう思うと、怒りの矛先は一気に少年に向く。しかもこの怒りは自分に正当性がないという思いの元の怒りなので、自分でも抑えることができない気がしてくる。
「いい加減にしろよ」
と言えればいいのだろうが、そんな言葉を口にできるくらいなら、こんなジレンマに陥ることはない。
――そうだ。赤ん坊が泣いていると思えばいいんだ――
赤ん坊であれば、泣くのが仕事なので、怒りもなくて済む。
そんな風に感じたが、一度怒りを感じてしまった頭の中では、赤ん坊ですら、怒りの対象になっていることに気付かされる。
――赤ん坊には親がついているんだ。親が何とかしないといけないんじゃないか――
という思いを抱く。
まわりの人は親に気を遣って誰も文句を言わない。それが正しいことだと思っているようだが、人によっては、それがストレスとなって、関係のない人にそのストレスを向けることになる。
「子供の声でストレスを感じるのなら、誰に対してでもストレスを感じるだろうから、八つ当たりだって正当化させることができるんじゃないか?」
と言っていた人の言葉を思い出した。
それを聞いた時、遠藤はその意味が分からなかったが、結局はジレンマとストレスの解消をどのようにするか、あるいはできるかどうかが問題になってくるのだ。
「人間というのは、悪い方に考え始めると、どうしようもなくなってしまう」
いわゆる、
「負のスパイラル」
というものであろうか、遠藤にとって、自分が苛められていた時を思い出すことが、自分の中で沸き起こる負のスパイラルを意識する時でもあった。
遠藤はその思いのたけを小説に込めた。
――今なら、小説を書けるかも知れない――
奇妙な話をあれだけ描こうと思って書けなかったのは、
「ひょっとすると、すべてをフィクションで固めなければいけない」
という固定観念があったからなのかも知れない。
自分の経験をさらに深く掘り下げることで自分の発想をフィクションに持っていくということへの抵抗があったのだろう。
それは苛められていた時の自分を小説を書きながら思い返すことで、負のスパイラルとさらにはその時に沸き起こるジレンマとの間で次第に逃れることのできない深みに嵌テイルのだということを理解していなかったからだ。
「慣性の法則」
を思い出した。
その場所だけが他の空間とは違っていることが、さも当然のように意識されないが、実際には不可思議な現象であることは分かっているつもりだ。それも一種のジレンマで、
「目に見えているものがすべて正しいと言えるのだろうか?」
という思いにも至る。
目に見えてはいないが、確実に存在しているものもある。
昔、SFで読んだ本に、
「星というのは、自らが光を発するか、反射して光ることで、皆にその存在を示しているが、光をまったくもたない星が存在する」
という話しがあったが、まさにその通りである。
そんなことを考えていると、次第に小説のアイデアが溢れてくる。そこには、「もう一人の自分」というドッペルゲンガーも存在していて、
「このままなら自分がそのうちに死んでしまうのではないか?」
と感じたが、そう思った瞬間、これが夢であることに気が付いた。
「夢とは潜在意識が見せるもの」
まさにその通り、小説家として今まで何をしていたのか、それまで何ら思い浮かばなかった発想が、まるで堰を切ったかのように溢れてくる。何がきっかけだったのか分からないが、きっとこの夢は目が覚めてからも忘れることはないだろう。
小説執筆が自分にとって何なのか、夢から覚めるときっとそこに答えが待っているような気がする。
「夢というのは、潜在意識が見せるものだというが、果たしてそうなのだろうか?」
その時遠藤は感じた。
「夢というのは、潜在能力が潜在意識を超越した時に見るのだ」
と……。
だから夢というのは、眠っている時に必ず見るものではなく、夢の世界と現実世界の間には結界があり、潜在意識だけを表に出して、隔絶した世界を形成しているのではないだろうか。
空想を求める小説家としての自分の中に、潜在能力があるとすれば、今回の小説は自分がまた日の当たるところに出ることができるものに仕上がるだろう。
心理学の先生、画家になった友達は潜在意識が見せてくれたもの。そしてこの日の少年は遠藤の潜在能力が見せたものではないだろうか……。
( 完 )
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