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潜在するもの

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。

【警告】
 ラストの方で、かなりの私見が入りますが、不快な思いをされたら、速攻で読むのをやめてください。あくまでも作者の時代のことであり、作者の経験からのお話なので、よろしくです。(昭和四十年代前半くらいの話です)

                 文芸サークル

 私鉄とJRが平行して走 っているような中途半端な都会は、全国にいくつくらいあるのだろうか? それぞれを意識するように駅が存在し、駅と駅の間には、アーケードを要する商店街があった。今では郊外に大きなショッピングセンターができてしまったことで、すっかり商店街としての賑わいは崩れてしまったが、昔からの店もいくつか経営していて、何とか踏みとどまっているというところであろうか。
 しばらく行かずに、久しぶりに足を踏み入れると、かなり店が入れ替わっていて、
「まるで違う商店街に来てしまったのではないか」
 と思うような佇まいになっていて、拍子抜けしてしまうことであろう。
 しかし、今ではそんな光景も日常茶飯事となっているので、特に若い人は意識はしないだろうが、昔ながらの商店街の賑わいを知っている人には、一抹の寂しさが忍び寄っていることだろう。
 昼間であっても、いくつかの商店が店を閉めていて、中には新装開店の準備をしているところもあるのだろうが、空き店舗の貼り紙が張られたまま、テナントがつかずにずっとこのままというところもあるようだ。
「すべての店が開店していて活気に溢れていた時代は、今からどれくらい前だったことだろう」
 と思わずにはいれらない。
 時代は遡り、年号が昭和にまで行かないと、過去を振り返ることは無理なのかも知れない。
 ざっと考えても三十年にはなるだろうか。時代はとにかく賑やかで、
「眠らない街」
 と言われる街が結構あったくらいだ。
 会社でも、従業員が残業残業で終電に遅れれば、タクシー帰宅や、ビジネスホテルでの宿泊も会社からお金が出て、残業手当もある程度支給されていた時代だった。やればやっただけ報酬がもらえるのだから、社員も仕事に従事した。そんな時代だった。
 夜の街も賑やかで、同じ街でも、表通りが夕方まで賑やかであれば、夜になると、裏通りが、ネオンで賑やかになる。客層は全く違うが、賑わいは相当なものだった。ただ、働きすぎという意味や、治安という意味では問題がなかったわけではないが、それでも活性化した世の中だったので、それ以上に活気に溢れた世の中は、その後の時代から見れば、やはり羨ましいくらいの賑やかさだったのだ。
 その後は文字通り、
「バブルは泡となって消えた」
 と言われる通り、弾けてしまうと、襲ってくるのは、大不況だった。
 企業の方向性はもちろんのこと、個々の社員の働き方も、それまでとまったく違ったものになってきたのだ。
 バブルの頃は、少々の消費があっても、生産がそれ以上にあったので、生産を伸ばすということが最優先だった。しかし、バブルが弾けてしまうと、それまでは、
「聖域」
 とまで言われて大手金融機関ですら、破綻してしまうという、信じられない光景を目の当たりにすることになった。
 給与は軒並みダウン、賞与さえ支給されればいいというくらいになっていった。企業は生産よりも経費削減に活路を見出し、従業員カットという「リストラ」という言葉が囁かれ出したのもこの時代からであった。
 企業は生き残るための手段として、
「大手企業同士の合併」
 などが進んだ。
 中小企業は、大手企業の傘下に入らなければ生き残ってはいけない。それまで競合他社とされてきた。その業界のベストスリーに入っている会社が合併するなど、それまでであれば考えられないような状況が続くことになる。
 働いている人たちの生活も大きく様変わりした。
 リストラの名のもとに解雇された人も多かっただろうが、解雇されなかった従業員には、残業してはいけないなどというお達しが出る。しかし、企業は採算の取れない業務を手放すなどの企業努力があって、会社での仕事も縮小されたが、それと同時に従業員は減り、さらに残業をさせてもらえないのであれば、当然、仕事量は増えてしまう。電気代の経費をなるべく掛けないように、残業申請もできずに、サービス残業と呼ばれるものも横行していたことだろう。
 だが、それでも大半の社員は、定時に帰ることになる。そのおかげで、一種のサブカルチャーというのが流行った時代でもあった。
 今までは、
「お金のために残業に勤しみ、それだけの報酬がもらえたことで、仕事が生きがいとなっていた」
 という人が多かったのだが、今度は残業しても、手当は支給されず、会社や仕事に楽しみを求めることなどできるはずもなくなった。
 そうなると、定時に家に帰ってもすることがなく、お金ももらえないので、呑みに行くとしても、すぐに資金が底をつくだろう。
 その頃から、いろいろな趣味を生かすための産業が流行り出した。
 絵画教室であったり、料理教室のような、趣味で人とのコミュニケーションを取るようなアフターファイブにおける産業である。
 そもそも、アフターファイブなどの言葉が生まれたのも、この頃からではなかっただろうか。
「五時から男」
 などという言葉も生まれた。
 そういえば、バブル全盛期の昭和の末期といえば、
「二十四時間戦えますか?」
 などという言葉で代表されるビジネスマン向けに、スタミナドリンクが販売されていたっけ、そんな時代を懐かしいと思う人はいたのかどうか、聞いてみたいものだった。
 やはり趣味と仕事には一線を画すものであるということを教えるきっかけになったのもこの時代だっただろうか。サラリーマンだけではなく、今までの専業主婦の生活も結構変わってきた。その一つが、企業が生き残りをかけて考えた、
「非雇用者」
 を雇い入れることであった。
 いわゆるバイトやパート、のちに主流となってくる派遣社員という存在である。
 パソコンなどの普及により、それまで手書きなどで行っていた正社員の作業と言われる部分を、パートや派遣社員にさせることで、経費を抑えようという考えだった。そういう意味で正社員のレベル向上という意識には繋がっていくことになるが、パートや派遣の就業時間帯で賄えなかった作業は、結局社員に戻ってくるので、社員としては、パートや派遣社員の能力を把握しておかなければ、自分が苦しむことになり、自分のペースで仕事ができないという大きな弊害を招くことにもなった。
 一気に社会構造が変わってしまったので、なかなかついていけない人たちの中には脱落していく人も少なくなかっただろう。
 リストラに遭う人もいれば、自分から辞めていく人もいる。四十歳代あたりの中間管理職の人が結構やめていくのもこの時代の特徴ではなかったが。
作品名:潜在するもの 作家名:森本晃次