Solid contact
「早く捕まってほしいね。この騒ぎを楽しんでるなら、またやるかも」
一か月前、カフェテリアに置かれた共用のパソコンにそれを見つけたのは、話したこともない別の学部の学生だったけど、志和さんもいたらしい。運動部の女子の写真で、ほとんどは練習風景。目線は明後日の方向を向いているし、後ろから写したものが多いから、盗撮だろうと結論付けられた。バレー部の写真が多く、エースの矢田川先輩が特に狙われていた。顔のつくりはそこまで美人じゃないけど、後ろからなら見栄えはする。中には、サーブをする直前を切り取った、わたしの写真もあった。
犯人捜しはひっそりと始まって、ひっそりと終わった。問題は、共用のパソコンにはパスワード設定がなくて、誰でも使えるということ。五台あって、写真が見つかったのは隅っこの一台だった。パソコンの管理を任されていた学生は、なんの役にも立たず、情報系の講義を熱心に取っている志和さんの方が、詳しいぐらいだったらしい。
「本当、捕まえてほしいよ。でも、正直どこから撮られてるかなんて、分かんないからなあ」
「私、学生課だけじゃなくて、守衛の人にも言ったんだけどね」
「ジャンガリアン?」
「んなわけないじゃん。別の人だよ。ジャンガリアンなら木刀持って歩き回りそうなもんだけど。あいつに言ったらよかったかな」
志和さんはそう言って、青のりを振ると、給湯室に向かって叫んだ。
「高地くーん! 冷めるよー」
足音が聞こえてきて、なんとなく時間切れが迫っているような気がしたわたしは、まとめるつもりで言った。
「いやー、ジャンなら冤罪でも捕まえそうだね。でも、志和さんが動いてくれてよかった」
こういう話は、高地くんにはできない。どんなリアクションをするのか予測できないし、想像と違ったら嫌だなとか、そういう先回りもしてしまう。高地くんが台拭きを持って帰ってきたとき、志和さんが笑った。
「ジャンって誰?」
「勝手に縮めちゃった」
わたしが言うと、高地くんが笑った。
「ジャンガリアンの話してたの? これからはジャンでいっか。おー、できてる」
三人でお好み焼きを食べながら、残り半分になった学生生活の話をした。志和さんは猫背気味な姿勢を気にしていて、教育実習までには矯正しようとしている。高地くんは、先輩が手掛けた卒論のテーマについて。二人とも真面目だし、未来に目を向けている。わたしは、あともう少しで行われる試合のことで頭がいっぱいだ。それが終わった後は白紙。それがずっと続く。試合と白紙の繰り返しが終わったとき、高地くんと志和さんに全速力で追いつけるだろうか。中学、高校と続けてきたのだから、バレー部に入らないという選択肢自体が、存在しなかった。でも、大学に入って両隣の壁が取っ払われたように、わたしには無数の選択肢があった。
「矢田川先輩もさ。具体的に言えってんだよな」
高地くんが言った。わたしは、精神論の話の予告編を一昨日している。志和さんはなんの話か分からなかったかもしれないけど、それでも矢田川先輩の性格は知っている。
「精神論の話? アドバイスをする目的は、試合に勝つことなのかな? 私、先生になるつもりだから、そこはすごく気になる」
志和さんが言い、高地くんが笑い飛ばした。
「志和さん、生徒に気合が足りないとか、絶対言わねーだろ」
高地くんの言葉に口元だけの笑顔で応じると、志和さんは首を傾げながらわたしの方を見た。
「単に、発破を掛けたかっただけなのかもしれないよ。文句はつけられないけど、何か言わなきゃいけないってなったんじゃない?」
高地くんが深くうなずきながら、志和さんの言葉を補強した。
「百点目指しても、八十点しか取れないもんだしな。百点取るには、プラス二十点を精神論で盛って、百二十点を目指そうってことなのかも」
わたしは、試合が終わった後の白紙を恐れている。そこを見抜かれているのかもしれない。そう思ったとき、志和さんがテレビをつけた。三人と一台になったことで、濃いお好み焼きソースの味が舌に戻ってきて、わたしはテレビに目を向けた。
少し重くなったお腹を引きずるような感覚。思ったより食べてしまった。夜七時になって、高地くんは車で帰り、志和さんは家庭教師のバイトへ。わたしは、文化祭の執行部以外は人気がなくなったキャンパスの中を歩いた。駅までの近道は、敷地内にある、鏡張りの円形の建物の外周。新しい多目的ホールで、わたしが卒業してから完全にオープンするらしい。内装も出来上がっているし、今も一部は使える。その周りを歩いていると、わたしが映っているのが横目で見える。
白紙を恐れてはいけないのだろうか。次の目標に向けて、即座に歯を食いしばることができなければ、一人前ではないのだろうか。感動も感傷もなしに平時に戻れるわたしの方が、それこそ機械のようで、おかしいのか。
何も賭けていない。その通りなのかもしれない。鏡に映されたわたしは、そんな言葉を気にしたことすらないように、すました顔で歩いている。目が合い、思わず立ち止まった。わたしは、頭の中でこんなことを考えていても、一切表情に出ていない。気色が悪いぐらいに、真顔だ。
照明柱に照らされていても薄暗い鏡に正対して、わたしは表情を作った。笑顔は苦笑い。真顔は能面。じゃあ、悲しいときは? わたしは、自分の泣き顔を知らない。
「機械でいいの……?」
わたしは、鏡に映る自分に向けて話しかけた。
「あんた、本当に機械みたいだよ」
自分で発した言葉なのに、鏡の中に映る顔は確かに傷ついている。こんな顔で、矢田川先輩と向き合っていたなんて。何か、言い返せないの?
「何も、賭けてないんでしょ。じゃあ、やめたらいいよ」
矢田川先輩が言った言葉よりも、さらに強いし、色々と付け足されている。だからか、鏡の中のわたしは、さらに傷ついていく。何か、言い返してよ。わたしが追い打ちをかけようとすると、鏡に映る口が勝手に開いた。
「わたしは……、頑張ってるんです。機械みたいだって言われるけど、それでも……。自分の役割は、果たしてます」
矢田川先輩には到底言い返せない、本音。自分からそんな言葉が出たことに驚いて、わたしは思わず口元を押さえた。そのまま止まるかと思ったけど、また口が勝手に開いた。
「忠実に……、そう思って、感情を出さないようにしてきました。今度の試合だって、全力を尽くします」
鏡に映るわたしは、自身でも理解できない何かから、立ち上がろうとしている。メダルを首からかけられる笑顔の矢田川先輩と、その隣で能面を貫くわたし。その構図は、構内の写真展で嫌というほど見た。チームの一員なのだから、わたしは試合の間、全力で支える。終わったとき脚光を浴びるのは、矢田川先輩だ。
「だいたい、先輩じゃないし……」
一度、飲み会のときに矢田川さんと呼んだことがあったっけ。怪訝な顔をされて、確信した。あの人は、自分でも自分のことをみんなの『先輩』だと思っていると。ゼミどころか、学部も違う。バレーボールという共通点がなければ、口を利くことすらなかったかもしれないのに。
「邪魔……、いつも前にいて、邪魔なんだよ!」
作品名:Solid contact 作家名:オオサカタロウ