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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Red eye

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 昼の二時、フロントのホテルマンはやや不審そうな表情を巧みに隠し、部屋を充てた。巨大なキーホルダーのついたルームキーを振りながら、有坂は案内された部屋に上がった。葉月の家は、盗聴されていた。葉月ならそれに気づくだろうし、特に腹も立てないだろう。永遠に続くわけではないし、それがオブザーバーの仕事だ。三百七十メートル。狙撃というのは、繊細な作業だ。まずはライフルのことをよく知らなければならない。今晩、波止場で下見をする際に対面する。どれだけ低い姿勢が取れるかはライフルのデザインによるから、その形を知ることが最優先だ。有坂はそこまで考えて、小さく息をついた。十五年を、普通の人間として過ごした。でも結局こうやって、ホテルの一室で何かに怯えるようにカーテンも開けずに、葬式を待つ死体のようにぴたりと息を潜めている。その動きや作法を全て覚えている体は、自分のものではないようだった。有坂はダッフルバッグの中身をひとつずつベッドの上に開けていった。地図を開いて、昨晩見たばかりの波止場に目を凝らせた。葉月が向かい合わせに座っていたときは何とも思わなかったが、ひとりだと、それは死刑宣告の詳細な見取り図にすら見えた。有坂は高鳴る心臓を抑え込みながら、ミネラルウォーターをひと口飲んだ。カーテンから真っ白な光が差し込み、有坂は柔らかな光の帯を跳ね返す地図を見つめた。もう一枚が、重ねられている。有坂は地図をめくった。地図は一枚ものではなく、小さな四枚をひとつにまとめたものだった。左上は海沿いの住宅。左下は、貸倉庫。右上は展望台近くの公園。そして右下は、廃工場。それぞれに出入口がマーカーで記されているが、葉月から聞かされた仕事には入っていない。
「なんだこれ……」
 有坂は言いながら、答えを求めるようにダッフルバッグの中を覗き込んだ。青色のピストルケースが入っていて、それを手に取った有坂は、手が意思と関係なく動き出したように、ケースを開けた。中身は黒色の四五オートで、シュアファイアのフラッシュライトが取り付けられていた。有坂はダッフルバッグを掴み、裏返した。弾倉が入った状態の二連のポーチが落ちてきて、その上にカイデックス製のホルスターが折り重なった。上着で完全に隠れる、薄い型だった。有坂は四五オートを手に取り、弾倉を抜いた。メーカーは分からないが、ホローポイント弾が八発装填されていて、ポーチに入った弾倉二本も、同じだった。薬室は、空。この二十四発の弾は、いったい何のためにある? 葉月は、狙撃だと言ったはずだ。右手に拳銃を持ったまま、有坂が立ち尽くしていると、カーテン越しの光がさらに明るくなった。有坂は、二枚目の地図の端に、メモがホチキス留めされていることに気づいた。葉月の荒っぽい字は、メモ用紙を彫り込むような強度で踊っていた。
『地図は全部頭に入れろ。あと、必ずその銃を持ち歩け。練習もしておくべし』
 有坂は、葉月の字に気が抜けたように笑った。用心深いにもほどがある。ホルスターにベルトを通して右腰の位置に合わせ、有坂は何度かドライファイアを繰り返した後、地図と睨めっこする作業に戻った。
       
 夕方に、葉月は事務所へ寄った。パソコンに向かっていた増井は、画面を真っ暗に消して、振り返った。
「葉月さん、おつかれさまです」
 葉月は目だけで応じると、コーヒースタンドから熱いコーヒーを入れて、ひと口飲んだ。
「昨日、廃業の話をしていたよな?」
 増井はうなずいた。特殊な会社だから、日中に人がいることは滅多にない。葉月はデスクの前に立って、言った。
「ここだけの話だが、あれは本気らしい。飯山社長は、堅気に戻るつもりなんだよ」
「そうなんですか……」
 増井は、整髪料と汗が混じって光る額に手を置き、拭った。葉月が目をまっすぐ見て言葉を交わすことは、今までになかった。大抵が立ち話や、すれ違いざまの軽口だった。
「葉月さん、リタイヤで悠々自適ですか? 具体に、いつなんでしょう」
「時期は分からない。社員はおそらく、協力会社が引き取るだろうな。フリーランスになるやつもいるだろうが、それは本人次第だ。おれは、足を洗うよ。社長の予定はどうなってる?」
 葉月が言うと、増井はメモ帳を取り出した。秘書に近い存在だから、葉月よりも社長の行動を把握している。
「今日は一日、海沿いの別荘ですよ。夜はレストランを予約してますが」
 増井はそう言って、葉月の顔を見上げた。
「説得するつもりですか?」
「いや、もう遅いよ」
 葉月は言いながら笑った。増井の、整髪料交じりの汗。それは、おれがパソコンにあまりに近い位置に、立っているからだろう。
「画面をつけろ」
「はい?」
 増井が答えるよりも前に、葉月は画面のスイッチを押した。見たことのない企業の口座への送金履歴。個人的な、自分で自分に宛てた退職金。増井の首を手で捕まえた葉月は言った。
「お前は、いつかやると思ってたよ」
 増井が返事をするよりも早く、葉月はナイフを首の左側に突き刺した。失血死した増井を床に倒し、葉月は画面を眺めた。増井にしては、送金された額は控えめだった。小分けにして送るつもりだったのかもしれない。葉月は事務所から出て、駐車場に降りた。ランドクルーザに乗り込むと、ダッシュボードからファミリアのキーを取り出し、キーリングに追加した。
    
 午後八時、ホテルから出た有坂は、駅の方向へしばらく歩き、葉月の姿を見つけた。ダッフルバッグをランドクルーザーの後部座席に放って助手席に乗り込むなり、その目を見た。葉月は、目つきで察したように、首を横に振った。
「この車には、盗聴器はないよ。そんなことをする奴がいたら、頭を吹き飛ばしてやる」
「四五口径で? ライトもついてるやつか?」
 有坂の言葉に、葉月は答えなかった。返事の代わりにクラッチを踏み込み、シフトレバーを一速に入れた。ランドクルーザーが交通の流れに乗ったところで、ようやく言った。
「最近のホルスターは、背が高い」
「確かにな」
 有坂は少しだけ腰を浮かせて、また元に戻した。わき腹に食い込むような位置に、フルサイズの四五オートが張り付いている。有坂は葉月に言った。
「お前は?」
「おれも持ってるよ。九ミリだけどな」
 葉月は、レザーのベルトスライドに収まるシグに意識を少しだけ向けた。骨董品の二二九だが、十分に動作する。有坂はしばらく前を見ていたが、不意に笑った。
「シグか?」
「そうだよ」
 葉月はそう答えて、信号待ちで顔を見合わせた。有坂が笑い出し、葉月もつられて笑った。
「変わらないな。そんなに手に馴染むか? だいたい、十三発も何に使うんだよ」
 しばらく銃の話が続いた後、葉月は言った。
「お前に渡した四五口径は、ガラクタじゃない」
「そうであることを願うよ」
 有坂は窓の外を眺めながら、笑った。一時間ほど走ったころ、ようやく波止場が見えて、ランドクルーザーのスピードを落としながら葉月は言った。
「ここから、形が分かるだろ」
「難しそうだな」
作品名:Red eye 作家名:オオサカタロウ