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生と死のジレンマ

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。

                 プロローグ

 時は昭和初期の頃、時代は動乱を極めていた。軍部の力は強大で、政府の力を凌駕していた。明治には大きな戦争に勝利した日本軍はその実力をいかんなく発揮し、大陸での進出遅れを取り戻すべく、朝鮮、満州での権益を着々と固めていく。
 ただ、その道のりは決して平坦ではなかった。中国による反日運動、さらに欧米列強を刺激しないように行動も制限された中での工作は、決して簡単なものではなかったに違いない。
 大正時代に起こった最初の世界大戦では特需によって潤った日本経済であったが、そののちに起こった震災や、昭和に入ってからの経済恐慌などが尾を引いて、軍部内部でのクーデターや暗殺事件などが多発し、治安維持が機能しなくなっていた。
 日本はその対策として、満州で事変を起こし、満州を日本の勢力下に置いた。満州を勢力下に置く理由はいくつかあるが、一つは仮想敵であるソ連の存在だった。ソ連が満州に対して野心があるのは分かっていたし、満州がソ連の侵略を受けると、当時すでに併合し日本国の一部となっていた朝鮮の権益も危なくなる。そのための満州進出であった。
 だが、本来の満州進出への意味は、それだけではなかった。ソ連の脅威はもちろんリアルではあったが、それよりもひっ迫している問題が、日本国内にあったのだ。
 それはいわゆる、
「人口問題」
 であった。
 資源が圧倒的に少なく。国土の狭い日本では、当時の日本人船体を養っていくのは無理があった。日本の国土の四倍ともいわれる満州に侵攻し、満州への移民を増やすことで、資源開発と人口問題という二つを一気に解決するという方法を目論んだ。
 さらに当時の満州は日本国民に対して、土地を売ったり課したりすると、重罪となる法律が中国にはあったので、そんな迫害から居留民を保護しなければいけないという観点からも、満州侵攻は必要だったのだ。
 日露戦争にて得た権益の中で、満州鉄道とその周辺への利権があったが、治安のために設けられたのが、いわゆる
「関東軍」
 である。
 当時から関東軍は、
「天下無敵」
 という触れ込みもあり、関東軍がバックにいてくれるのであれば安心ということで、日本から多くの移民が満州に渡った。
 満州には、鮮度は別にして、石油、石炭などの地下資源が豊富にあり、重工業を営むには必要な土地だった。軍部としても満州進出は死活問題でもあったのだ。
 世界があっと驚くような電光石火作戦で、半年ほどで満州全土を占領した関東軍は、清朝最後の皇帝であった「愛新覚羅溥儀」を擁立し、執政として国家元首に据えて、満州国の建国を宣言させた。
 満州国は朝鮮とは違い独立国という建前だった。実際には傀儡国家であったが、外見的には植民地ではなかった。
 ただ、満州国を建国した背景として、満州国を他国に承認させ、国境を確立し、日本とともに発展させればよかった。満州国の建国スローガンとしては二つあり、一つは
「王道楽土」
 である。
 つまりは天皇をあがめる日本という国の庇護を受け、極楽のような土地を求めるという、移民に対してのスローガンであった。
 もう一つは、
「五族協和」
 というもので、漢民族、満州民族、朝鮮民族、日本民族、モンゴル民族という五つの民族がともに暮らしていける土地を築くというもので、これは対外的なスローガンであった。
 ここに日本国の、いや関東軍の考えがあった。
 満州事変を画策した人の中で参謀課長として石原莞爾という軍人がいる。彼は独特の考えを持っていて、それは日蓮宗からの考えのようなのだが、
「世界最終戦争論」
 という発想があった。
 それは、世界の今後の動向としては、それぞれの大陸の代表国が争って、勝ち抜いてきて最後に残った二国で最終戦争が行われ、それに勝利した暁には、その国を中心に恒久平和が訪れるという考えであった。
 ヨーロッパは第一次大戦で疲弊している。ソ連も革命から後、粛清が行われ、国力は万全ではない。アフリカは論外で、後はアジアとアメリカだが、アジアの代表としての日本と、アメリカ大陸の代表としてのアメリカが最終戦争を戦って、日本が勝利するというシナリオを抱いていたのだ。
 そのためには、まずまだ強固になっていないソ連を封じ込めることが大切で、満州を中心に日本は資源を蓄え、来たるべく最終戦争に備える必要があると思っていたのだ。
 しかし、彼の思いとは裏腹に、日本は中国本土に侵攻し、戦禍を拡大させてしまった。しかも、日本国内では陸軍の勢力争いが元で、統帥権を盾に、軍部が絶対的な権力を握り、石原莞爾の構想は完全に崩れてしまった。
 そのため日本は、泥沼の日華次元に突入し、欧米列強から海上封鎖などの経済封鎖によって、窮地に陥り、決定的な大東亜戦争を引き起こすことになったのだ。
 そんな時代背景の中、昭和十五年に召集令状、いわゆる「赤紙」を受け取り、中国大陸進出予備軍として編成された軍から、数か月の訓練ののちに派遣された。
 想像以上の大陸での戦争の激しさを知った彼だったが、昭和十五年の末頃に戦闘で足に負傷を負い、国内に送還された。しばらく陸軍病院で治療を受けていたが、治癒に対しては芳しくなかった。退院はできたが、軍に戻るまでの回復はしていない。日常生活にも支障をきたしている状況なので、しばらくは静養を必要とされた。
 そうこうしているうちに、国内は、
「欧米を打つべし」
 という風潮が高まっていった。
 政府としては、戦争か和平かでギリギリの外交を展開していた時期のことである。
 だが、彼の思惑とは裏腹に、時代の速度は猶予を許さなかった。国民感情は完全に戦争を欲していて、政府もアメリカの最後通牒に諦めを感じたのか、戦争への道が確立してしまった。昭和十六年の終わりころのことである。
 実際に戦争になると、連戦連勝、
「さすが天下無敵の日本軍」
 ということで国民は狂喜乱舞していた。
 だが、政府としては国が空襲に遭うという発想が最初からなかったわけではない。日華事変の始まった頃くらいから、国土を守るという考えから、いろいろな発想が生まれていた。特に日本家屋は木造建築が多いので、火がついたら消すのが困難である。火が回った時にどのように逃げるか、あるいは消火の方法なども研究されてきたが、何分まだ空襲がなかったので、ピンとこなかったのも無理のないことだろう。
 日本軍が連戦連勝だった頃、アメリカとしても起死回生を狙って、本土空襲作戦が立てられた。いわゆる、
「ドゥーリットル爆撃」
 と呼ばれる空襲で、太平洋上の空母から、
「B―25」
 という爆撃機が十六機、日本へ飛来し、帝都空襲を行ったのだ。
作品名:生と死のジレンマ 作家名:森本晃次