58の幻夢
22.幻夢
S県Y市、その郊外に古びた一軒家が存在する。
住宅街にひっそりと佇むその家が、孤高の万華鏡職人、和井田文造の住まいであった事を知る者は少ない。
和井田家は、先祖代々ガラス職人の家系であった。文造も学校を出てすぐ家業を継ぎ、若い頃は主にガラス製品を作っていた。しかし、戦時の金属供出で、ガラス製品を作る道具を一切合財取り上げられてしまう。戦後、仕事ができず途方に暮れた文造は、糊口をしのぐ為に仕方なく万華鏡を作り始めたそうだ。
元ガラス職人としてレンズや鏡の特性を知り尽くし、その知識や技術を惜しげもなく注ぎこんだ文造の万華鏡は、瞬く間に人気となり世人がこぞって買い求めたという。
その人気ぶりは、
文造作りし 百色眼鏡 皆が目に当て 丸い跡
妻の顔より 目にしていたい 美麗な景色の 万華鏡
など、都々逸にまで唄われる程であった。
万華鏡の大繁盛で、文造はガラス製品を作る道具を揃え直した。しかし文造は、ガラス製品なぞそっちのけで万華鏡を作り続ける。ある時、「万華鏡以外は作らんのか」と客に問われ、文造はこう答えたという。
「眼鏡も顕微鏡も望遠鏡も、色々な物が見えるようにはなる。だが、そいつらが見せるのは世知辛い現実ばかりだ。夢や幻が見られるのは、万華鏡だけだからな」
しかしこの発言から数年後のある日、文造は突然万華鏡作りを辞めてしまう。
「万華鏡だけが、夢や幻を見せてくれると思っとった。でも、そこにどんな景色を作り出そうと、それも所詮現実に過ぎないんだな」
かつて試作した万華鏡を鑿でかち割りながら、文造は物憂げにこう呟いたと伝わっている。
それ以降、大口の注文も、素封家からの特注も、壊れた万華鏡を直してほしいと子供が家に来ても、文造はすまなそうに、「もうできません」と言うのみだった。
やがて客が途絶えると、文造は惚けたように毎日空を眺め続け、程なくして世を去った。
だが、文造は死の間際に、たった一つだけ万華鏡を作ったと伝えられている。けれども、文造に懐いてよく家を訪ねてきた少女に、おやつのラムネと共に与えられたその万華鏡は、誰が覗いても何にも見えなかった。人々は、「文造も老いて耄碌したんだ」「子供をからかったんだよ」と口々に評した。しかし、もらった当の少女だけは、その万華鏡をうっとりと覗き込み、いつまでもいつまでも手離そうとしなかったという。
その少女が見た景色は、文造が見せた最後の幻夢だったのかもしれない。