58の幻夢
33.輿葬
三方を海に囲まれた堅城、潮音城は、日毎夜毎の攻撃により既に風前の灯となっていた。あらゆる手段を尽くし抵抗を続けていた潮音城主、潮音 武政も、そろそろ潮時と諦め、城を枕に討死せんという状況だった。皮肉なほど美しい夕焼けを天守から眺め、武政は思う。武士として、戦で死ぬ事は本望である。残った城兵たちも同様だろう。
「だが……」
物憂げな表情で武政は振り返る。凛とした表情で薙刀を構える愛娘のお藍が、どうしても城を去ろうとしないのだ。連戦による日焼けと汚れで、お藍の容姿はもう華奢な男のそれと大して変わらない。しかし、落城後に逃げ延びようとすれば、落ち武者狩りに遭って即座に女だと発覚するだろう。
その後は語るにも忍びない。だが、それも戦国の常というもの。ある意味お互い様なのだ。
いざという時に、我が手で始末することも考えた。だが、亡き妻にそっくりな娘の横顔を見ていると、手が鈍りそうな予感がする。
明日か、明後日か。城と自身の命数は極僅か。それまでにお藍をどうにかせねば……。武政は自身の運命よりも、娘の運命に苦悩していたのだった。
深夜、何事かを固く決意した武政は、残った城兵から決死隊を募った。そして、お藍を呼び出し、噛んで含めるように言い聞かせた。
「良いか、お藍。この戦に勝利するには、我々が信仰する大神の力が必要だ。
我等潮音家が、古来より綿津見大神を信仰しておるのは、お前も知っておろう。
お前はこれからこの輿で海の底へと赴き、綿津見大神の御助力を仰いでこい。
さすれば必ず、大神の御加護でこの戦に勝利し、潮音の家は末永く繁栄し続けるだろう」
連戦の疲労の中で出した結論だった。お藍も、決死隊として選ばれた担ぎ手も、武政本人ですら世迷言なのは承知だった。
だが、お藍は全てを悟った表情で「畏まりました」とだけ答える。そして、半刻後には身なりを清め輿の上の人となっていた。
敵の監視に見つからぬよう、お藍を乗せた輿は静かに城を立ち、浜から海へと着水した。
簾から淡く蒼く差し込む月光に、お藍は美しく照らし出される。さっきまで裾を湿らせる程度だった水が、じわりじわりと腹から胸元へと忍び寄る。担ぎ手達の頭はもう水面の遥か下。だがそれでも輿は沖へ進み続けた。
飛沫がお藍の鬢を濡らし、息も絶え絶えになった頃、最後の担ぎ手が力尽きたのか、輿はガクンと沈み落ちた。
翌朝、武政以下全城兵は討死し、潮音城は落城。潮音家は滅びた。