58の幻夢
32.後始末
黒衣の流派である早水流の十二代目、早水 麗京は今、死の床にあった。麗京の伏せる間には、彼の弟子達が重苦しい空気で佇んでいる。
「……皆、話がある」
麗京は弟子の方を見向きもせず、目を瞑ったまま切り出した。
「これから言う事は、わしの遺言だと思って聞いてほしい」
空咳を一つした後、麗京は本題に取りかかる。
「単刀直入に言う。ぬしらの中に、この早水流の看板を背負える者は誰もおらん。
すまぬが、わしの死をもって早水流は解散とする」
弟子達はどよめいた。麗京に意見しようとする者もいたが、それはさすがに他の弟子が制す。
「ぬしらは欲に塗れ過ぎた。それでは黒衣は無論、流派の長などとても務まらん」
弟子達の狼狽ぶりを目の端に収め、麗京は呆れたように呟いた。
「……明乃丞、明乃丞はおるか」
末席から現れた男――都 明乃丞は、師匠の床に音も無くにじり寄った。
「弟子となってまだほんの半年ばかり。
一度も舞台を踏ませずにこんな体たらくだ。
お前には本当にすまないと思っておる。
そんなお前に、さらなる頼み事をするのは心苦しい。
だが、もうあやつらには何も頼めんのでな」
麗京は軽蔑しきった表情で、掴み合いや口論をしながら部屋を出る弟子達を眺めながら呟いた。「どういったお頼みでしょうか」
神妙な顔つきで、明乃丞は師に問う。
「実は、わしの出る舞台が四日後に控えておる。
その頃、わしはもうこの世におらんだろう。
だが、仕事を休んだ事のないわしだ。死んだ程度で舞台に穴は開けられん。
そこでだ、お前はわしに成り代わってその日の舞台に立て。
幸い、黒衣は顔を隠せるからの」
「……お頼みとあらばこの明乃丞、分不相応ではありますが、必ずやり遂げます」
「そして、舞台の直後にわしは急死した事とせよ。
その後、速やかに葬儀と派の解散を終えるのだ。良いな」
直後、麗京は身罷った。
以後、明乃丞は亡き師匠、麗京の遺志通りに動いた。師匠の死を舞台終演まで内密にし、寝る間も惜しんで演目の稽古を行う。稽古の合間を縫い、葬儀や解散の段取りを秘密裏に進めていく。
舞台当日、師には遙か遠く及ばなかったが、黒衣の役割は大過なく勤め上げた。そして、肝心要の師匠の葬儀と流派の解散も、蔑ろにされた兄弟子達の様々な妨害に悩まされる中で、どうにか成し遂げる。
マスコミや他流派は、突然すぎる麗京の死と、急死直前の舞台での麗京のぎこちなさに、何かを嗅ぎつけはした。だが、葬儀が手早く行われ早水流も即座に解散したため、世間の興味が急速に薄れ追究の機を逃してしまった。
しばらくして、幾人かの元弟子がそれぞれ新流派を興し、早水流の後継を称した。
だが、師匠の見立てが正しかったのか、競争による共倒れか、どれも長く続かなかった。
明乃丞は、黒衣稼業からすっぱり足を洗い、実家の乾物屋を継いで生涯を終えた。
師匠、麗京の死と早水流の解散にまつわる真相は、頑なに口を噤み、一切語る事はなかったという。