58の幻夢
37.世代交代
けたたましく鳴り響く時計を止め、時間を確認する。休日に起きるには、ちょっと、いや、かなり早すぎる時間。いそいそと出かける準備をし「今日こそ」という思いで扉を開く。行き先は近所の小学校。
誤解のないよう言っておくが、決して休日の学校に忍び込んで生徒の衣服等をどうこうする趣味はない。今日は何を隠そう、選挙の投票日なのだ。私は、投票一番乗りの悲願を達成すべく、こうして早起きをしてきたのだ。途中のコンビニで買った缶コーヒーを飲みながら、小学校の校門をくぐり抜けた。投票所である体育館の入り口が目に飛び込んでくる。
だが、無情にも入り口の前にはもう先客がいた。
「今回もダメだったか」
大きくため息を吐いて、その人物の隣に陣取った。
私は、ついつい恨みがましい目で隣の人物を睨んでいた。みすぼらしいが、それほど不潔感はない老爺。杖こそついているが、まだまだ元気そうだし、顔つきもしっかりしている。
そういえば、ここに住んでからずっと、この老人に一番を取られている気がする。そして、二番はいつも私。多分、老人の方も(気づいているのなら)私が一番を狙っている事は分かっている筈だ。いっそ、何時に来ているのか聞いてみようか。幸い、投票所が開くまで時間もあるし。それに、話が合えば順番を譲ってくれるかも……。そんな風に考えた時だった。
「おい、坊主」
老人は、こちらも見ずにそう呼びかけた。坊主? 私の事だろうか。私はもう四十を越しているのだが、まあ、老人からすれば坊主のような年かもしれない。返事をしてみると、老人は寂しそうにこう言った。
「長らくこの投票所の一番手を務めとったが、もう足腰が弱ってきておっての。
これから先を任せられる優秀な奴はおらんかと思っとったんじゃ。
坊主、お前なかなか見所があるし、良い目をしとる。
わしはもう投票には来ん。後は任せたから、しっかり一番手を務め上げろ。
せいぜいこの老骨の眼鏡違いだった、なんて事にならんようにな」
老人はこの言葉の後、ぽつぽつ私の後ろにも人が並び始めた行列から外れ、去っていった。老人の立ち去った数分後、投票所は開き、投票が始まった。
その日の夜。私の選挙区では、強固な地盤を築いていた保守系政党の現職議員が、革新系政党の落下傘候補に敗北し、選挙特番でも大ニュースになっていた。
現職議員の敗戦の弁をテレビで聞きながら、私はもう会えないであろうあの老人の事をなぜか思い出した。