58の幻夢
38.空と水と変人と
中二の夏。あたしは学校のプールでひたすら泳いでいた。
中学生になった頃、あたしは部活動なんて興味が無かった。誘われるままに、小学校からの友達と水泳部に入った。
それから一年と少し、色々な事が少しだけ変わった。あたしと友達の加入で部員が増えた水泳部は、三年生の卒業と新入部員が入らなかった事で、片手で数えられる人数にまで減っていた。一緒に入った友達は、チャラい友人達とつきあい出して、部活はおろか学校にも来なくなった。 来年、部員が来なければ部は消滅する。そのカギを握るのは最後に残ったあたし。大会であたしが好成績を収めれば、きっと部員も増えるはず。そう信じて猛練習を重ねた。でも、一向に記録は伸びない。次第に練習は義務的になり、諦めのムードが漂い出していた。
そんなプールに、一人の変人が現れるようになったのは先日の事。そいつはプールの隅で、潜っては浮かび、浮かびは潜ってを繰り返す。海水パンツなので男子のようだが、水中メガネとシュノーケルを常時着けているので顔はわからない。
顧問に聞くと、美術教師にどうしてもと頼まれたので立ち入りを許可したらしい。けれども、プールで不審な男子がわけのわからない事をしているのはとても怖い。練習の邪魔でもあるし、立ち退いてもらおう。あたしはそう思った。
「あのう……」
プールサイドで声をかけると、変人は例のシュノーケルを取って振り向いた。
「ん、何?」
変人感など全く無い。むしろ快活な返事に思わず声を失う。
「あぁ。なんか、変な奴いてごめんね」
変人はこちらの言いたい事を察してるかのように言葉を重ねた。
「いや、そんな」
機先を制されて、出てけとは言えない雰囲気になってしまった。
困り果てたあたしは、個人的な疑問をぶつけてみる事にした。
「ここで、何してるんですか?」
変人は、あたしから遙か上空に目線を移す。
「空を見てるんだ。水中から見た空を、ね」
「は?」
見ている空を真っ直ぐ指差す。
「空、あるでしょ?」
「はい」
「あの空、プールの底から見た事ある?」
「……いえ」
考えもしなかった。あたし背泳ぎやらないし。
「ユラユラで不確かで、ずっと眺めてても飽きなくて。だからそれを、画にしたいんだ」
あたしは、その変人が帰った後(本人の前では恥ずかしかったので)、プールの底から空を見た。青の中に、薄い膜がかかった感じ。水面の揺れに呼応して姿を自在に変える空。
「空ってこんな歪むんだなぁ」
変わらないはずの空が、間に水をちょっと挟むだけでぐにゃぐにゃになっている。その変わり様をただただ眺めていたら、肩の力がすっかり抜けていた。
あたしは、来なくなった友達のためとか、水泳部の存続のためとか、そう思ってがんばってきた。でも、こうやって水底から空を眺めるように、ほんの少し見方を変えるって事ができていなかったのかもしれない。
友達や部のためじゃない。あたしはあたしのために泳ぐ。そう決意して、水面に顔を出した。