58の幻夢
57.字淫
突然だが、辞書でエッチな単語を調べたことはあるだろうか。
いや、調べなくてもいい。例えば、目的の言葉のいくつか隣の言葉。それを目に入れると、たまたま艶っぽい単語だった。そしてその単語の意味を、ついつい読みふけってラインを引いてしまう。思春期だったら男女問わず、恐らく皆やっていることだろう。これから話すのは、このことにまつわる話なんだ。
中学に入った頃の話だ。
当時の僕らも、辞書のエッチな単語にこっそりラインを引いていた。皆がそんなことをしていると、次第に他の子の辞書が気になってくるものだ。そうなると、すきを見て辞書を奪い、
「こいつ、こんな単語に線を引いてやがる」
と確認してからかうようになる。こんな遊びが、当時はやっていたのさ。
当然、みんな自分の辞書は見られたくない。それゆえガードが固くなる。そんな中で、ひときわ鉄壁のガードをしていたのが森尾君だった。森尾君は内気だったので、ことのほか恥ずかしかったのだろう。辞書を常に手放さず、その中身を見せることは絶対にしなかった。
だがそうなると、さらに見たくなるのが人間の心理というものだ。きっと森尾君は、ものすごくエロい単語を知っているに違いない。なんとしても森尾君の辞書を見たい、みんなそう思うようになったんだ。僕らは、彼の辞書を見るために手練手管を尽くした。泣き落としたり、高圧的に出たり、辞書を忘れて借りようとしたり……。そして紆余曲折を経て、なんとか森尾君の辞書を見ることに成功したんだ。
僕らは彼の辞書を見てびっくりした。ほとんどの単語に、びっしりと線が引かれているのだ。
「だって、みんないやらしく思えてくるんだもん」
真っ赤な顔で、消え入りそうな声で、森尾君が言ったのをよく覚えている。これは少しおかしいんじゃないかということで、僕らは男の先生に相談した(女の先生にしなかったのは、僕らなりの仁義だ)。
その先生は森尾君の両親にこの事を報告し、森尾君を精神科に連れていった。診断の結果、彼は文字に欲情する特異体質だということがわかったそうだ。
しかしその頃、森尾君の体には大きな変化が起きていた。第二次性徴。森尾君は、射精ができるようになってしまったんだ。文字に欲情する森尾君は、一気に性欲まみれの生活を送るようになってしまった。文字を読まない生活など、現代ではもはや不可能と言っても過言ではないからね。
かわいそうに森尾君、今度は内科に入院となった。そう、射精のし過ぎでね。今も文字の全くない病棟に、一人寂しく入院しているはず。
でも僕らがあの時むりやり辞書を見なかったら、彼は命を落としていたかも知れない。そう考えれば命があるだけ、まだマシだと言えるのかも知れないね。
ちなみに彼、森尾君が最も愛した字は、「標」という字だそうだ。全体を取り巻くバランスがたまらないと言っていたよ。僕には正直よくわからないけど、彼にとっては最高に魅惑的な文字なんだろうね。