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短編集80(過去作品)

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 園部の知り合いには、芸術家が多い。小説が売れるようになって知り合ったというわけではなく、学生時代の頃から芸術家を夢見る連中が多かったのだ。彼らは皆芸術家として生計を立てている。雑誌や新聞にも時々載るような有名人もいたりする。きっと同じような感性を持っている者同士が惹きあい、お互いに切磋琢磨することで、自分の才能を開花させるに繋がったのではあるまいか。
 園部を含めた芸術家になった連中には、共通点がかなりあった。妥協を許さないところもそうだし、ジンクスを気にする連中は多かった。それぞれジンクスを主張するので、なかなか何をするにも決まらないという弊害もあったが、それでも、皆自分の主義主張がハッキリしている分、相手にも分かりやすかったことだろう。
 絵心がまったくない園部だったが、友達の絵だけはなぜか良し悪しが見えてくるのだった。普通に絵を見ていて何も感じないのにである。
「絵を見ていると何かが伝わってくるな」
 と言われるが、園部にはよく分からなかった。
 きっと作者を知らないからだろう。作った人のことや気持ちが分からなければ本当の感性なんて見えてこないように思う。作品から湧き出てくるものもあるのだが、何も予備知識のない自分を納得させるだけの力など到底ない。
 人生についての話をするのが好きな園部は、とことんまでお互いの意見を確かめ合うことが多かった。意見を戦わせるというよりも、気持ちを分かり合うということが多かったのだ。相手の気持ちが分かってくると作品の見方も変わってくる。何がいいたいのかが見えてくると言った方がいいかも知れない。作品を見つめているとまるで話をしているようだ。それだけ、作者の思い入れを垣間見れるというものである。
 その中にグラフィックを専門に書き続けている人がいる。パソコンを使って描いているのだが、元々は油絵が専門だった。油絵ではなかなか売れなかったので、コンピュータグラフィックへと目先を変えると、急に注目され始めた。どこかが普通の世界と違っているのだろう。感性を深めることがグラフィックではできるのだろうか?
 目先を変えたのがよかったのだろう。まわりを見つめる目が養われたと言っていたが、その通りであろう。
 扇型のイメージが頭に浮かぶ。その時に感じるのが、水平線を中心にした大海原である。その時に感じる大海原は夕日が沈む時である。パノラマがまだらに浮かび上がる。まだらな中には、黄昏を感じるオレンジ色と、深みを感じる真紅とが微妙なコントラストを描いている。
 友達のグラフィックにも同じようなイラストがあった。彼の特徴には、必ず蝶が描かれていることだった。芸術家には、何かしらその人のシンボルというべき何かを表現したがるもので、同じジャンルの中に特徴を見出したいという気持ちが強いからに違いない。
 園部のように文章だと、形になったものを描くことはできないが、特徴はハッキリと現れている、いわゆる「個性」と言ってもいいだろう。
 ジャンルとしてはミステリーホラーに属するのかも知れないが、ある意味ではSFに限りなく近い。それは自分でも分かっていて、ファンタジーのようなものではなく、ミステリーといっても、サスペンスタッチのものでもない。どちらかというと「静」な雰囲気というべきであろうか。
 誰でも一歩間違えれば踏み込んでしまう世界。園部のテーマである。
 園部が今彷徨っていると思っている世界は、自分の描いていた世界である。作品にして書き綴った記憶もあるのだが、発表した覚えはない。園部の作品は短編ばかりで、そのため量産されている。いちいち一つの作品を覚えているはずもなく、最近は覚えられないことが一番の悩みの種である。
 いったい今までどれだけの作品を世に送り出してきたのだろう? 中にはまったく覚えていない作品、そしてイメージだけが残っていて、また同じような作品を時間が経って書き上げたりしたこともあった。
 いろいろなイメージが頭に浮かぶ。浮かんでは消え、浮かんでは消え、まるでシャボン玉のようだ。儚いものだとまで言わないが、浮かんだイメージの軽さに最初は戸惑うが、弾けることで、また新しいイメージが浮かび上がってくる。それが、芸術というものではないだろうか。
 尊敬する作家に出会ったことも、園部にとって運命的なものだったに違いない。
 大学を卒業してからすぐは一般の会社に勤めていた。その頃から作家になることを諦めてはいなかったのだが、本を読む気になれない時期があった。仕事が忙しいというのを理由に、現実から逃げていたのかも知れない。
――作家になれないんだ――
 漠然と考え、弱気な自分が露見すると、本を読む気になれなかった。本を読むとどうしても作家になる夢から遠ざかっている自分を見なければならず、それが辛かったのだ。だが働きながらでも夢に向かってがんばっている連中もいる。卒業して学生時代の仲間に出会ったりすると、話は夢についてに終始する。卒業後、そのまま才能が開花した連中もいるが、そうでない連中は園部と同じように就職した。
「どうして目標に近づけないんだろう?」
 一人がいうと、
「気持ちが中途半端だからさ」
 サラリと言ってのけるやつもいる。
「どうしてだい?」
 彼を見つめて問いただすが、
「きっと目指すものがハッキリと分かっていないからだな」
 と言われると、皆一斉に考え込んでしまう。もちろん園部も同じだった。彼は続ける。
「目標に向かって進んでいくということは、きっと焦点が狭まっていくんだろうね。それが自分に合うものであれば、きっと目標をハッキリと見据えることができるんじゃないかな?」
 思わず納得してしまう。目からウロコが落ちるとはまさしくこのことだろう。
 それまであまり寄ることのなかった本屋にも次第に立ち寄るようになった。
 会社の帰りには大きな本屋が点在していた。その中でも椅子が置いてあってゆっくりと本が読めるところもある。中には隣にある喫茶店に持ち込んで図書館のように読めたりする。
 そこで見つけた本に、自分の進むべき道を見つけた。
 作家の名前は江崎省吾という。
 最初に読んだ時に感じたのは、
――大人の小説――
 であった。濡れ場などもあるが、微妙なタッチであまりいやらしく感じない。きっと自分だけがいやらしく感じないのではないかと思えるほど、リアルな表現を使っているところもあるが、園部には全体の流れから、実に自然な描写に見える。
 玄人好みのする作家で、文学賞をいくつも取っていた。テレビにもたまに出ていたりして、小説学校の講師もしていたりと、いろいろ忙しく飛び回っているようだ。
 そのくせ作品もかなり発表している。完全に自分のジャンルを確立していて、
「自分の世界をしっかり持っていて、その世界に陶酔できるから数多くの作品を世に送り出すことができるのではないだろうか?」
 これは江崎省吾のエッセイの中にある一説であるが、園部も自分が書けるようになって初めてその言葉の意味に気付いた。それまでは何となく気になる言葉ではあったが、ハッキリとした意味は分からなかった。
――自分の世界――
作品名:短編集80(過去作品) 作家名:森本晃次