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哀れな中年の愚かな夢

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「いや、まだ、あきらめるには早い。きっと、レモンも家族のことや何やらで、忙しいに違いない。そういえば、親類に頼まれて、形式だけの社長にならなければいけないから、うっとうしいとか言っていたっけ」
 ノブナカは、レモンと話した会話の断片を咀嚼しながら、レモンのことを思った。

 十九

 ノブナカは、レモンとの連絡が途絶えた今、レモンと過ごした日々が夢のように思えてならない。
 眠れない夜が続き、その間、何度も何度もレモンとのことを、思い返していたのである。

 
 レモンと、剣山に向かう道中、
「もっと、飛ばしてよ。どんどん、追い越されているジャン」
 レモンが、じれったそうに言ったから、そう、オレは慣れない高速で冷や汗を掻きながら、百二十キロまで速度を上げたっけ。
 途中、T県にある山中のカズラ橋に寄り、そこを渡るとき、
「アァーン、怖いよー。キミー、そんなに早く行っちゃダメだってー、アァーン、怖いよー」
 と、ベソかいて吊り橋の真ん中あたりでレモンがうずくまり、オレがおんぶして渡ったよな。
 すれ違う他のアベックに笑われて、カッコ悪かったよね。
 けど、オレは、レモンの腰を支えている両手や密着した体の感触ばかりが気になり、ニヤついていたんだ。
 山頂に昇るリフトでも、レモンとオレ以外に乗客はなく、貸しきりみたいで、良かったよね。
 レモンの前に腰掛けたオレは景色を見ずに、振り返りレモンばかりを見ていたっけ。
 レモンがミニスカートだったから、どうかしたらパンツが見えそうで、それもよかったなぁ。
 頂上について、二人が並んで山を上っているとき、ふっとオレが振り返ると、リフト係の二人の男が、レモンのミニスカートを覗いていたっけ。
 オレと目が合ったら、バツが悪そうにすぐ後に向き直った。 
 頂上近くで裸木を見ると「怖い、怖い」と、オレに抱きついたよね。
 レモンが怖がるときは、色々とオレに取ったらいいことが起きるんだ。
 下りのリフトに乗ってはしゃぐレモンは、本当に可愛かった。
 その日は、あいにく雲がかかっていて、遠くの景色を眺めることが出来なかったから、また今度来ようねって、約束したよね。

 あぁ……。

 会いたい……。
  
 二十

 春の人事異動で、今までいたプレッシャーを強く感じる係から、窓際族の一員になった。
 以前のノブナカなら、ホッと胸をなでおろし喜ぶところだが、今は何の感慨もない。
 新しい仕事は、主に法務局で権利移転の登記をするものであるが、いっこうに手がつかない。
 その様子を見るに見かねて、上司が何度か注意したが、改善する気配がない。
 毎日、二日酔いで、溜息ばかりつき、仕事にならない。
 他の部署から登記依頼文書がきて、関係書類を整えて法務局に行き登記を完了させなければいけない仕事が、少しも前に進まない。
 依頼のあった部署から、地権者が怒って、せっかくの交渉がパーになったとか、クレームの山になった。
 何ともならなくなった上司が、ノブナカに通院をすすめたのである。
 精神科に外来すると、ドクターから、うつ病で3ヶ月の自宅療養を要する旨の診断が下された。
 ノブナカは、診断書を人事担当者に提出するや否や、次の日から、M市内の親類の家に居候させてもらうべく、家を出た。
 妻は、夫から病状を聞き、少なからずショックを受け、気分転換にM市で過ごすことを了承した。
 本当に夫のことを何もわかっていない。
 ノブナカは、次の日から、M市郊外で近くに森がある大きな敷地の家を探し始めた。
 図書館で住宅地図をコピーし、片端から塗りつぶしていけば、東京や大阪のような大都会でもないし、きっと見つかると本気で思った。
 本当に毎日探し始めた。
 レモンとたった一度だけ撮った携帯の写真を見せながら、
「この娘さんを探しているんですが、こころあたりございませんか?」と。
 しかし、日中は留守の家が多く、確実に会って、地図を塗りつぶすことが難しく、再訪問、再々訪問しなければならなかった。

 二十一

 歩きつかれて公園のベンチに腰掛けながら、レモンと過ごした日々を思い浮かべる。

 そういえば、レモンは、自分の胸が小さいことを気にしていたっけ。
「そんなことないよ、ペチャパイの方がカワイらしくっていいじゃない」
 とオレが言っても、
「やっぱり、オッパイはでっかいほうが男の人は好きでしょう?」
 と言って、オッパイの小さいことがコンプレックスになっていると言っていたなぁ。
 オレが胸を触るふりをすると、物凄く怒ったもんなぁ。
 フトモモやコシを触ることには、そんなに怒んなかったのに、胸だけは、異常に嫌がった。
 俺が自分の胸を揉んで見せると、それだけで感じる素振りを見せたっけ。
 レモンの一番の性感帯はオッパイだったんだろうなぁ……。
 あのぺちゃぱいだって、可愛かったのになぁ……。

 あぁ……。

 レモンに、会いたい……。

 二十二

 ノブナカは、休職の更新を続けながら、レモンを探し続けた。
 休みが長期になり、親戚の家にも居づらくなったノブナカは、公園で寝るようになった。
 食事はまともにとらないためやせ細り、おまけにひげや髪は伸び放題、誰が見ても浮浪者にしか見えない。
 ノブナカは、薬もまともに飲んでおらず、症状は改善されるどころか、今では幻覚や幻聴に悩まされ、かなり深刻な状態になっていた。
 すでにノブナカの中では、日時の感覚もなく、ただ日々、レモンの幻を追いかけることだけに固執して生きていた。

 そして遂にその日が来た。

 ノブナカが、公園のベンチでボーっとしていると、目の前をレモンとおぼしき若い女が横切った。
 若い女は、父親と思われる体格の好い強面の男と公園内を散策している。
 ノブナカは、女の後を追った。
 ノブナカの気配を感じた女が、時々後ろを振り返る。
 女が隣の男に、ひそひそと耳打ちをしている。
 強面の男が、ノブナカの方を振り向き、少し凄んだ。
 しかしノブナカは女しか見ていないから、男の凄んだ表情に気付かない。
 その後男は、何度も振り返りながら、ノブナカを睨んでいる。
 若い女は、気味悪そうに男に寄り添いながら、歩いている。
 ノブナカは、到頭我慢できなくなり、
「レモンちゃん」
 と女に近づき、肩に手をかけようとした。
 その瞬間、女は大きな声をあげて、逃げた。
 強面の男が、ノブナカの腕をつかみ、
「おれの女に何をする、お前は誰だ?」
 と怒鳴った。
 ノブナカは、つかまれた腕を振り払おうとしながら、
「レモンちゃん、オレだよ、ノブだよ、レモンちゃん、レモンちゃん……」
 と逃げてゆく、若い女に叫んだ。
「おれの女は、レモンなんていう名前じゃあない」
 男はノブナカを捕まえたまま、警察に通報した。
 まもなくパトカーがきて、ノブナカは警察に連行された。

 二十三

 ノブナカは、精神病院にいる。
 病室の中で、毎日レモンとのことを思い返している。
  
 ノブナカはレモンの記憶をたどればたどる程、レモンのことが忘れられなくなる。
 愛しい。
 記憶の中のレモンは、常に優しく微笑んでいる。
 癒しであり、桃源郷だった。
 天使だった。
作品名:哀れな中年の愚かな夢 作家名:忍冬