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哀れな中年の愚かな夢

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「どうせ、お城みたいな家にすんで、お手伝いさんがいて、近所からは尊敬の眼差しで見られるような家庭に育ったンだよね、きっと」
「そーんなことないよ、おっかしいよキミ」
 とか言って、はぐらかす。
 それにしても、ノブナカを時々不安にするのは、レモンが携帯電話に出なくなることだ。レモンとノブナカを唯一繋げているのは携帯だけだった。ノブナカは、レモンの住所も自宅の電話番号も知らない。このまま、レモンが携帯に出なくなることをいつも恐れていた。
 携帯だけでは心もとないから、実家の住所だけは教えて欲しかった。
「僕は、ストーカーなんかには絶対ならないからさ、万が一全世界の携帯が故障して、繋がらなくなったら困るだろう。その時にさ、住所さえわかっていれば、手紙が書けるしさ。頼むから教えてよ」
「バッカじゃないの。携帯が繋がらなくなるなんてありえっこないよ、キミオカシイヨ」
 こんな調子で、レモンは絶対に住所を教えなかった。

 十五

 ノブナカは、喜びの絶頂にあったある日、H市で鰻を食べて帰る道中、海辺に出てみようと、国道から田舎道に入った。
 相変わらず、レモンのフトモモに手をやり、エロイことを言っていた。
 前方の四叉路にも気付かず、左側から軽四が走ってきたのに気付いたときには、手遅れだった。
 ノブナカのチェイサーは相手の軽四の右前方にそのまま突進した。
 急ブレーキするも間に合わず、「ドーン」という大きな音を立ててぶつかった。
 その瞬間の相手の運転手の恐怖に驚いた顔がノブナカのすぐ目の前にあった。車を飛び降り、相手の運転手に「大丈夫ですか?」と聞いた。
 相手の男は、一瞬怒気を現したような表情でノブナカを見た。
 眉間に皺を寄せ、首を大きく傾け、
「参るなぁ、気をつけてもらわないと」
 と言い、車から降りようとした。しかし、ドアが凹んで、開かないため、助手席側から降りてきた。
「本当に、申し訳ありません。怪我はないですか、大丈夫ですか?」
 ノブナカは、ひたすら平身低頭に謝った。
不断から、気弱な彼は、こういった場合、自分に非がなくても先に謝る性質であり、今回のように自分に多く過失がある場合など、とにかく謝り続けるのである。
 そう言ったノブナカの態度が、男の気持ちを緩やかにした。
「こちらの方ではないんですか?」
「はい、すいません。Kから来たもので、なにせ道に迷っていまして……」
 ノブナカは、道に迷ったことを理由にしたが、それは嘘で本当のところは、レモンといちゃつくのに、前方の注意を怠ったことにあった。
「まぁ、いずれにしても警察を呼びましょう」
 男は、地元の人間で、H市にある農機具会社で労働組合の幹部をしているとのことでもあり、手続きに抜かりがない。
 事故現場は周辺が田んぼで、人家もあまり多くないが、大きな音に驚いた数人の者が現場に集まった。
 警察官はまもなくパトカーでやってきた。
 五十過ぎと三十代と思われる警察官だった。三十代の方が、主に事故の状況などを詳しく聞いた。
 一通りの説明を聞いた後、
「助手席の方は、奥さんですかね?」
 と若い方の警官が、一応そう言わねばならないという風に、聞いた。
「いえ」
 ノブナカは、気まずくそう答えた。
警察にウソを言えば、後々まずいことになることを、直感として感じたからである。
「助手席の方の、名前や住所、連絡先も聞いておかなければならないですが?」
 年輩の人の良さそうな警官が、二人の関係を何となく察したかのように、ノブナカに小さな声で言った。
「ちょっと、待ってください」
 ノブナカは、事情をレモンに言った。
レモンは、一瞬宙で何かを思案するような目になったが、小さく肯いた。
ノブナカは、
「直接本人に聞いてください」
 と言い、警官とレモンの遣り取りを聞かないように、その場を離れた。
 このことがレモンの実家に連絡がいき、レモンが知らない男と付き会っていることを家族が知る。そして、レモンは家族からお咎めを受け、以後、ノブナカとの交際は終止符が打たれる。というシナリオが頭をよぎった。
 レモンは、窓越しに警官の質問に答えているが、一切顔は上げなかった。
 現場検証を終えた警官は、
「後は当事者同士での話し合いになりますから」
 と言って、事故現場から去って行った。
 野次馬もいなくなった事故現場で、相手と話しながら、すごく善良な男で良かったと思った。
「遠くから、きなはったのに、えらいことになりましたな。おたくさんの、車もウインカーが壊れてますから、かまわなければ、私の行き付けの修理屋がありますから、行きますか?」
「私も、この辺りには、知った修理屋ありませんので、お任せします」
 ノブナカは、近くの修理屋についていく間、レモンに、
「レモンちゃんの家に、何か連絡がいって、君に迷惑かけないかな?」
 と言った。
「……」
 レモンは、顔を上げずに黙ったままでいた。
 ノブナカは、修理屋で見積もりを出してもらう間、相手の男と話していた。
男は組合の幹部をしている関係で保険のことには詳しく、今後の手続きなどノブナカに助言した。
 男は、長身で痩せ気味な体をしており、年齢は五十過ぎに見えた。
「娘さんですか?」
 男は、俯いたまま顔を上げない、レモンの方を見て、ノブナカに言った。
「いえ、違います」
 男は、何かを察知したらしく、レモンのことにはそれ以上触れなかった。

 十六

 この事故は、ノブナカとレモンの間に、季節同様秋の気配を感じさせるものになった。
 それ以来、ノブナカがドライブに誘っても、承諾しなかった。
 しばらくは、携帯にも出ない日が続いた。
「何か、事故のことで嫌な事でもあったの?」
 事故の日以来、しっくりこなくなった携帯の会話に、苛立ちながらノブナカが言った。
「ベツに」
 レモンの口数が極端に少なくなり、間を保てない。
「だって、なんかレモンちゃん怒っているみたいだから」
「そりゃ、そうでしょ。キミが、トロいからあんなことになったンじゃない。ワタシあんなぶざまなケイケンはじめてよ。警察官に皆が見ている前で話しをきかれるなんて、ワタシ的にはありえない屈辱だから」
「だから、そのことに関しては、本当に、すまないって何十回も謝っているじゃない」
「何回謝ってもダメよ、キミがトロいんだから、ホントウにワタシ、アッタマにきているンだから」
 レモンの怒りは、中々静まらない。
それでも、一ヶ月が経過すると、携帯での会話が何とか普通に戻った。しかし、デートの許可は相変わらずおりなかった。

「来月クリスマスのプレゼントに、キミに買って欲しいものがあるの」
 久方振りに再会し、お洒落な喫茶店でブルーマウンテンを飲みながら、レモンが熱い目をノブナカに向けて言った。
 事故のことがあり、遠出はしばらく避けることにしていた。
 その間は、M市内の高級な喫茶店や料亭で過ごしたり、たまに映画を観たりした。
「レモンちゃんの、知っている店で良い店があればそこに行こうよ」
 と切り出し、レモンの行き付けの店にも行った。
 知人に会うから嫌だと思えば、馴染みの店を案内しないだろう。
 レモンは、ノブナカのように他人の目を気にしない。
作品名:哀れな中年の愚かな夢 作家名:忍冬