哀れな中年の愚かな夢
「ホントウに、昨晩は無理言ってゴメンネ。キミには、あの男のこともいつか話せそうな気がする。それはそうと、今度は、H市においしい鰻食べに行かない?」
レモンがフライドポテトを食べながら言った。
十二
その後ノブナカとレモンは、M市郊外のレモンが家族とよく行く店などに行った。
「何もしないから、モーテルに入って、カラオケでもしないかい?」
ノブナカが、ドライブの帰り、さり気なく誘うが、「ダメヨ」と言って、レモンは意地悪そうな目をした。
「キミは、オクさんの、あそこをベロベロしてればいいジャン」
と言って、さも面白そうにからかうのである。
「レモンちゃんの、あそこもベロベロしたいな」
レモンの機嫌のいいときに、調子に乗ってそういうと、決まって、「バッカじゃない」と吐き捨てるようにレモンは言った。
ノブナカは、四分の一程は、そういう機会に恵まれないかという淡い期待をしていたが、残り四分の三は何もなくていいからこのままレモンといつまでも会っていたいと思った。
ノブナカは、段々と慣れるにしたがって、車の運転中などに、そっとレモンのフトモモに手をおいたり、手を握ったりした。レモンも、「触るときには触りたいと言いなさい」とか言いながら、満更イヤそうでもなく、されるがままにしていた。
レモンは、以前の彼氏達がしていたように、車の乗り降りの際、ドアを開け閉めさすことをノブナカに強要した。
「そんなこと、あったりまえジャン」
と言って、ノブナカが運転席から降りて、助手席のドアを開けるまで車から降りることはしない。その態度が自然で、今までの彼女のお嬢様の生活の一端を見る気がした。
「これじゃあ、まるでレモンちゃんを送り迎えする下部のようだね」
「そーんなことないよ、だってそれが普通でしょう」
と、疑問を挟む余地のない顔で、ノブナカを見る。
レモンとのデートの際は、レモンが常に主導権を握り、本当にノブナカは、一万払って高級なペットの守をする、惨めな中年のオヤジにしか過ぎなかった。しかし、そのことを惨めだと思う以上に、心が癒されることに喜びを感じるのである。他人からみれば、まことに滑稽だと思うだろうが……。
十三
この頃のノブナカは、二週間おきにレモンに会うことを唯一の心の支えにして、日常のストレスを耐え忍んでいたのである。彼は、時々夢のように、レモンとどこかで暮らせたらどんなに幸せだろうかと、想像することがある。しかし、現実にそんなことは、ありえないことは百も承知でつきあっているし、いつ飽きられてもおかしくない年の離れた中年であることも十分自覚していた。
本当に滑稽な話ではあるが、夜中にふっと目を醒まし、レモンのことを思うことがあり、そんなときたまらなくなって、自分で慰めることがある。まるで思春期の少年のように。虚しくもあり、滑稽になり笑ってしまう。
ノブナカは、本当に思春期に恋をした時となんら変わらないように、レモンに恋をしていたのである。ウソみたいな話しだが……。
携帯電話をもう一台買って、親子割引のセットにして、それをレモンに持たせた。そうしなければ、毎日の電話代がさすがに高騰して、いくら金銭に無頓着な妻であっても、この事に気付くだろうと思ったから、先に手を打ったのである。
「なにか二人だけの秘密みたいでオモシロイヨネ」
「これからは、レモンちゃんにメールをどんどん送るから」
「いいわよ」
それ以来、ノブナカはまるで詩人になったように、拙い詩のようなメールを一杯送信した。
「キミさ、この前のメール途中で切れてたよ。それに、ナーニこの前のメール。レモンは宇宙の全てのものより美しいとか、レモンは僕にとってのジャンヌ・ダルクとか、なんかおかしくない?」
レモンは、ノブナカのメールの内容を笑った。
「僕は、毎日詩人になった気分で、レモンちゃんに愛を語っているのに、それはないだろう」
ノブナカは、少し心外そうに言った。
「ゴメンネー、笑うつもりはなかったのだけれど、あんまりキミのメールがすごかったから」
「……」
「だけど、これからイッパイメール送ってね、楽しみにしているから」
ノブナカは、昼休みの間にも、食事はそこそこにして、レモンへのメールを送った。
「この間のキミのメールは、ジョン・レノンのラブのパクリじゃない。愛は君、愛は真実、とかなんとか書いていてオカシカッタヨ」
「レモンちゃんと会っていると、僕は心も癒されるし、何か、十代の頃のようなときめきを感じて、自分でもこんな気持ちになるなんて夢にも思わなかったよ」
ノブナカは、心が若返っていくと同時に、服装も若作りをするようになった。ユニクロなどで、二十代の男の子が着るようなシャツを買って帰ると、妻が、
「どうしたの、お父さん。そんな若い子が着るようなシャツ買ってきて」
「いやー、年に関係なくおしゃれをすることも大事かなと思って、それにユニクロ安いからね」
と適当にごまかした。
ここ数年、普段着は量販店の紳士服売り場でしか買わなかったし、服を自分で選ぶことすらなかった。しかし、妻は子どもの教育と宗教活動に忙しく、ノブナカの微妙な変化を気にしない。
「まあ、お父さんも少しは普段着も買わなきゃね。それはそうと、谷口の奥さん、ほら、支部の責任者している……」
と、いつものように、宗教団体の組織内部の不満をたらたら述べるのである。妻が、活動から帰ると、今度は、晩酌をしながら妻の愚痴を一時間ほど聞くことが、ここ数年来のノブナカの日課でもあった。子どもの成績のこと。組織での人間関係。そういったことを毎日毎日繰り返し聞かされる。
ノブナカは、この数年来、父親の多額の借金の連帯保証人になっていたことから、父親の死後は債権者からの督促や、職場では中間管理職としてのストレスも溜まり、家に帰れば帰ったで、妻の愚痴や不満を聞かなければならず、長男は少し反抗期にさしかかっており、うかつにものが言えない、といった、外でも内でも、心休まることがない状態が続いていた。何度「もうだめかな」とつぶやいたことやら。そんなノブナカの精神状態を妻は知る由もない。そういう極限状況だったから、ノブナカは、ツーショット・ダイヤルに走ったのである。そこで、レモンという心の癒しを得、今はレモンがノブナカを支えていると言っても過言ではない。
十四
ノブナカは、レモンの実家がM市内のどの辺にあるのかを知りたいと思った。レモンに聞いても、
「近くに小さな森があって、ワタシんちが、少しだだっ広いから、その周辺はワタシんちみたいな感じで……。だけど、そんなことどうでもいいジャン」
「レモンちゃんちは、じゃあ郊外にあるってことだな」
「そうだよ。静かで、とってもいいところよ」
「どの辺になるのか、教えてくれないかな」
「ダメヨ、ゼッタイ」
「どうしてなの」
「どうしても、ダメなものはダメ」
「じゃあさぁ、近くにあるめぼしいものだけでも教えてよ」
「そんなこといえないジャン、すぐわかってしまうから」
「どうしてだよ」
レモンは、ノブナカと付き合いはじめて半年になろうとしていたが、両親のことと実家の所在については一切言わなかった。
作品名:哀れな中年の愚かな夢 作家名:忍冬