哀れな中年の愚かな夢
二ヶ月を過ぎた頃、まさに晴天の霹靂のごとく、中年好きの若い娘と繋がった。その娘は、二十六歳のプータローでレモンという名で、暇だから電話をしていたとのことだった。それまでも何人か話しの合いそうな娘と話しをしたが、いざ「携帯の番号教えてよ」と言えば、ほとんどの娘が、「まだー今日話したばかりだからー、携帯教えるには、早すぎるー」とか、また、教えられた番号がとんでもないウソの番号だったりした。レモンは、他の娘と違い、「お願いだ、キミと続けて話したいから、頼む、番号教えてよ」と、懇願したとき、「エー」としばらく躊躇した後、すんなりと教えてくれたのである。
舌足らずで頓狂な声を出すレモンは、自分は不二家のペコチャンに似ていると女友達から言われ、男の子からはフェロモンが出ていると言われると言った。
「何、そのヘロモンって」
「キミ、フェロモンも知らないの、少しは勉強しなさいよ、だからヤナンダヨネー、オヤジは」
ペコチャン似のフェロモンを放出しているらしいレモンのイメージがノブナカにはさっぱり湧かなかった。
レモンは、最初の内こそ、
「ワタシ、スゴクシャイナンで、あまり人とハナセナクテ……」
とかなんとか言っていたが、すぐに本性を出して、オヤジであるノブナカをバカにした。
「キミさー、独身なんて言っているけど、ゼータイうそよね、キミさー、言っちゃあ悪いけど、話し方ヘンに落ち着いているしー」
「うそじゃないよ、本当の独身だよ」
こういった嘘を平気でつくことを許されるのがツーショットの魅力だった。
電話で始めて話したときから、ノブナカは自分のことを三十半ばの独身の教師だと偽っていた。名前も「ノブ」としか言ってなかった。
レモンは最初から、「ワタシ、中年スキナノ」と言った。
「モシー、キミが、ホントウに独身でなかったら、ワタシもう次から電話にデナイヨー」
「わかった、わかったよ、本当は結婚しているよ。子供も二人いるよ。で、どうなの、それで僕のこといやになるのかな?」
「フーン、ヤッパリネ」
少し間が開き、
「だけどゼーンゼンヘイキよ、ワタシ、マエにもサイシあるダンセイとツキアッタコトあるしー、だからゼーンゼンヘイキよ」
レモンの声に偽りはなさそうだった。
こういった調子でノブナカは、昼休みや夕方の帰宅途中の車中や深夜に、セコセコ電話を続けていた。
ノブナカは、電話代を気にしながらも、今や一日もレモンと話さずに過ごせないほどになっていた。レモンもノブナカと話すことを、楽しみにしているらしく、決して嫌そうなそぶりを見せなかった。
「ワタシねー、よくオトコのヒトからイヤシケイだってイワレルノヨね」
と言って、まんざらでもない風だった。
そんなふうに電話で話しているうちに、レモンのことも何となく輪郭が掴めてきた。良いところのお嬢様であるらしいこと。少女時代からイジメにあったこと。それがトラウマにあるのかはわからないが、職場での人間関係がうまくいかずに、今も勤めている職場を辞めたがっていること。イジメられていたことは、彼女が学校に送り迎えを車でしてもらうようなお嬢様だったことが、公立の学校に通う他の生徒には、鼻持ちならず、浮いていたのではないかと、ノブナカは思った。
「レモンちゃんのお父さんって何しているの?」
と聞けば、
「そうネー、ナニといわれてもうまくいえないけれど、このマチでは、オソらくシラナイヒトはいないかもね」
と言った。
「じゃー、お母さんは、何しているの?」
と聞けば、
「ハハは、イマは、エイゴのホンヤクをシテルカナ」
と言った。
「だけど、ホントウにエライノハ、オジイサンデ、つまりチチのチチね、そのカタが、イマのザイサンをキヅキアゲタのネ」
「へー、何か、君ンちって、相当金持ちみたいだね」
「ソーンナコト、ナイよ。だってチチはチチだし、ワタシとはカンケイないしー」
こんな会話の端々にレモンが良いところのお嬢様であることに想像を膨らませた。
四
それから、二ヶ月程経過した頃、
「今度、会いたいネ」とさりげなく言うと、「イイよ、ベツに」とあっさり言われ、急転直下、レモンの住む街に行き会うことを約束した。
しかし、翌日になって、
「ヤッパリ、キミと会うことは、マダデキナイ」
「どうして?」
「ワタシ、コワイの、だって、キミと会えば、イツカはワカレナケレバナラナイジャン」
「どうして、そんなこと心配するの?」
「ワタシ、コワイの……」
電話口でレモンがシクシク泣き始めた。
「わかったよ、じゃあレモンちゃんが、会ってもいいというまで待つから」
レモンは、しばらく泣き続けた後、
「ゴメンネ、ホントウに」
と言って、電話を切った。
以前、レモンが、大学時代に付き合っていた彼と別れた時、何日も家から出られなくなり、眠れなくなり、睡眠薬を服用していたことを聞いたことを思い出した。
その日からノブナカは、あの手この手をつくして、一日でも早く会えるよう取りはからった。
「レモンちゃんは、ケーキが好きだって言ってたよね」
「ソウダヨー」
「じゃあさ、僕の町で、超美味いケーキ屋さんがあるンだけど、それを買って持っていこうか」
「うわー、それってドンナシュルイがアルノー?」
「どんな種類って、とにかくおいしいらしいよ」
妻からそこの店が一番おいしいと聞いていたので、ものはためしと言ってみたのである。
「とにかく、よかったら、そこの店においてあるショートケーキを全種類買っていくよ」
「ホントー、それってステキヨネ」
あきらかにレモンの声が弾んできた。
「よっし、善は急げだから、来週の日曜どうかな?」
「エー、ライシュウ」
「だって、一日も早く君にケーキ食べさせてあげたいじゃない」
「ウフフ、ダケド、ライシュウかー」
「決めたよ、来週の日曜ってことで」
ノブナカは、逡巡するレモンに強引に待ち合わせ場所を決めさせた。
「よし分かった。環状線を空港方面に走って、右手にマクドナルドが見えたら、次の交差点を右折だね、近くに着いたら、携帯に電話するよ」
「ワタシ、コワイなー」
「大丈夫だよ、僕は怖い人ではないから」
笑って言ったが、レモンは笑わなかった。
待ち合わせの日は、六月の梅雨が一休みをした曇りの日だった。ノブナカは、九時に洋菓子店に行きあらかじめ予約していた通り、全てのショートケーキを二個ずつ箱に入れてもらった。途中痛まないようにとドライアイスも詰めてもらった。レモンが住む街はここからだと、車で四時間近くもかかるのである。
「施設の子供たちのプレゼントにと思って……」
「すごく喜ばれますよ」
ノブナカは、一度に百個近くのケーキを買う不自然さを、そのようなウソでごまかした。
「ヒャッコもカッテキテクレルノ?」
「そうだよ、レモンちゃんのためなら、百個のケーキも惜しくないよ」
レモンと会うための苦肉の策であった。
五
レモンの住む街までの四時間、ノブナカは大学時代に好きだった彼女の住む大阪まで東京から胸をときめかせながら会いに行ったことを思い出し車を走らせた。その時以来の、弾んだ気持ちだった。
作品名:哀れな中年の愚かな夢 作家名:忍冬